隠岐諸島
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「隠岐の島」はこの項目へ転送されています。自治体については「隠岐の島町」を、その他の用法については「隠岐」をご覧ください。

隠岐諸島島後(前)、島前(奥)
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地理
場所日本海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度12分00秒 東経133度10分00秒 / 北緯36.20000度 東経133.16667度 / 36.20000; 133.16667座標: 北緯36度12分00秒 東経133度10分00秒 / 北緯36.20000度 東経133.16667度 / 36.20000; 133.16667
島数184以上
主要な島知夫里島中ノ島西ノ島島後
面積345.92 km2 (133.56 sq mi)
最高標高608 m (1995 ft)
最高峰大満寺山
行政
日本
都道府県 島根県
隠岐郡
町村 海士町
西ノ島町
知夫村
隠岐の島町
最大都市隠岐の島町
人口統計
人口20,126(2017年10月1日年時点)
人口密度58.2 /km2 (150.7 /sq mi)
言語日本語隠岐方言
追加情報
時間帯.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

日本標準時UTC+9

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隠岐諸島の地形図
島前(左)、島後(右)
島前は外輪山が中央火口丘を囲んだ形状をしている。島前

隠岐諸島(おきしょとう)は、島根半島の北方約50 kmに位置する島々である。隠岐群島(おきぐんとう)、隠岐島(おきのしま)とも呼ばれる[注 1]。現在は島根県隠岐郡に所属している。山陰地方では今[1]でも隠岐諸島を指して隠岐国(おきのくに)と呼ぶ場合がある。
概要

隠岐諸島は本州南西部の島根半島の北の日本海、北緯36度付近に位置する。隠岐諸島は島後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられる。

島前は「島前三島」と呼ばれる知夫里島知夫村)、中ノ島海士町)、西ノ島西ノ島町)から構成される群島である。これに対し、島後は1島(隠岐の島町)のみである。島後の面積は約242 km2で、日本列島では徳之島に次いで大きく、15番目の面積を持つ[2]。主な島は、これら4島だが、付属の小島は約180を数える。

隠岐諸島の最高峰は島後の中央やや東側に所在する大満寺山で、山頂の標高は608 mである。かつては摩尼山と呼称された。

島根県は隠岐諸島を管轄する隠岐支庁を置いており、支庁所在地は隠岐の島町(旧西郷町)である。人口18,303人、面積345.92km²、人口密度52.9人/km²。(2024年2月1日、推計人口

1963年に隠岐諸島のほぼ全域が、大山隠岐国立公園に指定された。特に、島前の西ノ島町に所在する国賀海岸は、高さ100 mから257 mに達する海食崖が連なった景勝地として知られる。
地史・地質隠岐諸島の地図

隠岐諸島にはユーラシア大陸の縁辺であった時代と、島根半島の先端であった時代とがある[3][4]。同諸島と島根半島の間の水深は70 mほどで[3]、2万年前の氷期には現在より海面が130 mほど低下し半島と陸続きとなっていた[3]。その後の海面の上昇によって約1万年前に現在のような離島となった[3]

また同諸島は、約500万年前に活動した火山でもある。侵食作用によって火山地形が失われたため、火山としてではなく第三紀の火山岩類として扱われる[注 2]。島前火山はカルデラを形成しており、その中央火口丘焼火山(たくひやま)である[5]

火山の酸性土壌が多いため、隠岐の牧畑といった原始的農法も近年まで続けられたのである[6]

黒曜石の産地として有名であり、島後より産出される「隠岐片麻岩」は日本最古の石として知られる。
歴史・文化後鳥羽上皇の隠岐配流を描いた障壁画(安土桃山時代1600年頃)詳細は「隠岐の歴史」を参照

隠岐諸島には縄文時代の早期か前期まではヒトが住みつき、本州と活発な交流が有った痕跡が、出土した石器や土器に現れている。

古事記』では「隠伎之三子島(おきのみつごのしま)」と記される[7]

日本神話「因幡の白兎」に登場し、古代には隠岐諸島に隠岐国が置かれていた。古くから遠流の島として知られ(例として、『続日本紀』天平宝字8年9月18日条など)、小野篁伴健岑藤原千晴平致頼源義親板垣兼信佐々木広綱後鳥羽上皇後醍醐天皇飛鳥井雅賢などが流された。

中世には国府尾城(甲尾城)の隠岐氏が隠岐守護代として隠岐を支配した。隠岐守護は出雲の京極氏や尼子氏が兼ねたものの、本人が渡海した試しは無かった。

近世は初め出雲の堀尾氏や京極氏の分国であったが、後に江戸幕府の直轄領(天領)にされた。天領の統治は出雲の松平氏が任された。江戸時代に入ると、隠岐は西廻り航路に組み入れられ、北前船の風待ち港として繁栄し、日本各地の文化が流入した。明治元年(1868年)には松江藩と隠岐在住の住民間で隠岐騒動(雲藩騒動)と呼ばれる一連の騒動が発生した。

特異な民俗行事としては、「牛突き」が知られる。配流された後鳥羽上皇が喜んだという口承が伝わる日本最古の闘牛である。また隠岐には古典相撲が伝わっており、神社の遷宮やトンネル完工、校舎の新築など公共の慶祝事業に伴って、神社や仏教寺院の境内、学校の校庭など至る所で、土俵が設置される。


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