.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}霊山寺(りょうせんじ)
本堂(国宝)
所在地奈良県奈良市中町3879
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分22.9秒 東経135度44分31.1秒 / 北緯34.673028度 東経135.741972度 / 34.673028; 135.741972
霊山寺(りょうせんじ)は、奈良県奈良市中町(もと添上郡中村、下狭川村中村、狭川村中村)にある霊山寺真言宗の大本山の寺院。山号は登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)。本尊は薬師如来。開山(創立者)は行基と菩提僊那である。寺名の読みは「りょうせんじ」が正式であるが、「りょうぜんじ」「れいざんじ」と呼ばれることもあり、地元ではいずれの呼称でも通じる。
奈良市の西郊・富雄川沿いにあり、戦乱に巻き込まれずに古い面影を残す。ばら庭園があり、世界のバラの花を集めていることで有名である。 奈良市の西郊、富雄地区にあり、富雄川の支流湯屋川をはさんで南北両側の丘陵上に鎌倉時代建立の本堂(国宝)、三重塔(重要文化財)などの建物が建つ。これら古建築とともに、全面金箔貼りの黄金殿、バラ園、温泉、ゴルフ練習場、大霊園などの設備を有する異色の寺院である。 伝承によれば、小野妹子の子である小野富人
歴史
神亀5年(728年)、聖武天皇の皇女・阿倍内親王(のちの孝謙天皇)は病に苦しんでいた。ある晩、天皇の夢枕に鼻高仙人が現われ、登美山の薬師如来の霊験を説いたので僧・行基を登美山につかわして祈願させたところ、皇女の病が平癒した。天平6年(734年)、聖武天皇は行基に命じて登美山に大堂を建立させた。
2年後の天平8年(736年)に来日したインド僧・菩提僊那(東大寺大仏の開眼供養の導師を務めた)は、登美山の地勢が故郷インドの霊鷲山(りょうじゅせん)に似ていることからこの大堂を霊山寺と名付け、聖武天皇からは「鼻高霊山寺」の額を賜ったという。