隆武帝
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "隆武帝" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年12月)

隆武帝 朱聿鍵
南明
第2代皇帝

王朝南明
在位期間1645年8月18日 - 1646年10月6日
都城福州
姓・諱朱聿鍵
字長寿
諡号思文皇帝
配天至道弘毅粛穆思文烈武敏仁広孝襄皇帝
廟号紹宗
生年万暦30年4月5日
1602年5月25日
没年隆武2年8月28日
( (1646-10-06) 1646年10月6日(44歳没))
父朱器?
母宣皇后毛氏
后妃孝毅襄皇后曾氏
年号隆武:1645年 - 1646年

隆武帝(りゅうぶてい)は、南明の第2代皇帝は聿鍵(いつけん)。廟号は紹宗(しょうそう)。日本では在位中の元号隆武を取って隆武帝と呼ぶのが一般的。の太祖・洪武帝朱元璋の第23子、唐定王朱?の8世孫にあたる(下記系図参照)。目次

1 生涯

2 宗室

3 系図

4 伝記資料

5 脚注

生涯

隆武帝の父・朱器?は唐端王・朱碩?の嫡出長男であった。万暦22年(1594年)、朱器?は世子とされた。しかしその後、朱碩?は寵愛する側室の子・朱器?を世子として育てようと考え、長男を虐待した。万暦30年4月5日(1602年5月25日)、朱器?の妻・毛氏は宦官の家で朱聿鍵を産んだ。朱碩?はこの孫を愛さなかったが、朱碩?の母・太妃魏氏(万暦41年(1613年)薨去)は曾孫を愛し、世話をした。その後、朱器?は唇部腫瘤という理由[1]をつけて監禁され、崇禎2年(1629年)、朱器?に毒殺された。この事件は混乱を生み、朱碩?も恐れ、気乗りのしないまま孫の朱聿鍵が家督相続人に立てられた。1630年、朱碩?も死去した。

唐王家内での長い争いの後、崇禎5年(1632年)に朱聿鍵は祖父の爵位を相続して唐王となった。崇禎7年(1634年)、父の仇討として、叔父の朱器?を自ら手にかけて殺害した。崇禎9年(1636年)冬、北方情勢の危急に際し、唐王は武装した家臣を統率して北京へ上り、崇禎帝を支援しようとした。しかし崇禎帝は猜疑心が強く、これを権力奪取の企てと疑った。翌年春に朱聿鍵は「無断用兵罪」と「弑叔罪」を問われ、庶人に落とされ、鳳陽高墻(皇族の監獄)に収監された。獄中で、朱聿鍵は度重なる体罰によって一度は危篤状態に陥った。妻の曾氏と数人の役人が崇禎帝に上書したが、崇禎帝在世中の8年間は効果がなかった。

崇禎17年(1644年)、崇禎帝が自殺し、弘光帝南京で即位すると恩赦を受け、広西平楽に移されることになった。移送中に弘光帝が清軍に囚われたとの報を受けた朱聿鍵は、福州の地で鄭芝龍黄道周らに推されて帝位に即き、隆武の元号を立てた。同族である桂林の靖江王の朱亨嘉(朱若極(石濤)の父)が「監国」と称すると、両広総督の丁魁楚に命じてこれを討伐させて、これを捕らえて福州に連行させて王位を剥奪した挙句に、獄死させた。

鄭芝龍の子の鄭成功が隆武帝に初めて謁見した時、隆武帝はその容貌と聡明さを気に入って、「朕に公主(娘)がいないのが残念である」と言った。隆武帝が公主の代わりに国姓の朱姓を授けた(しかし鄭成功は固辞した)ことから、鄭成功は「国姓爺」の異名で呼ばれることになった。

隆武2年(1646年)、清軍が福州を攻撃すると汀州に逃れたが、の李成棟の軍によって捕らえられた。連行途中、皇后曾氏と10人ほどの宦官が入水自殺した。その後、清軍の警備は強化されて逃走の機会はなくなり、隆武帝は翌月まで絶食して自ら命を絶った。享年45。
宗室

妻妾

孝毅襄皇后曾氏 - 1646年自殺。

12人の妃嬪

某氏、某氏 ? 汀州で自殺。

沈氏、毛氏 ? 汀州で隆武帝と共に捕虜になった。

某氏 ? 汀州で隆武帝を守って清軍と格闘し、戦死した。

劉氏 ? 汀州へ逃難時、既に妊娠していた。しかし以後、詳情の記載がない。



子女

荘敬太子 朱琳源(1646年生没) - 母は孝毅襄皇后曾氏。兎唇を持つ。隆武2年6月1日(1646年7月13日)に生まれ、同年8月、混乱の中に死去した。


系図

太祖洪武帝
朱元璋 1唐定王
 朱? 2唐靖王
 朱瓊?         
   
                     

         3唐憲王
 朱瓊? 4唐荘王
 朱芝址 5唐成王
 朱弥 
    
                     

                 文城恭靖王
 朱弥鉗  
  
                      
                     
  6唐敬王
 朱宇温 7唐順王
 朱宙? 8唐端王
 朱碩? 朱器? 9,11唐王・隆武帝
 朱聿鍵
      
                     

                  10唐愍王
 朱聿?
 
                     


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef