陽耀勲
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陽 耀勳
Yang Yao-Hsun台中市成棒隊
Lamigoモンキーズ時代
(2015年10月25日)
基本情報
国籍 中華民国台湾
出身地台東県台東市
生年月日 (1983-01-22) 1983年1月22日(41歳)
身長
体重178 cm
90 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手外野手
プロ入り2006年
初出場NPB / 2006年5月17日
CPBL / 2015年9月2日
最終出場NPB / 2012年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


中国文化大学

福岡ソフトバンクホークス (2006 - 2013)

Lamigoモンキーズ
楽天モンキーズ
(2015 - 2021)

富邦ガーディアンズ (2022)

台中市成棒隊(中国語版)

国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイ代表
WBC2006年2013年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

陽 耀勳
各種表記
繁体字:陽 耀勳
簡体字:? 耀?
?音:Yang Yaox?n
注音符号:?????????
発音転記:ヤン・ヤオシュン
英語名:Yang Yao-Hsun
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獲得メダル
男子 野球
 チャイニーズタイペイ
アジア競技大会
2010

陽 耀勳(ヤン・ヤオシュン、1983年1月22日 - )は、台湾中華民国)の台東県台東市出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。台湾の少数民族アミ族出身。弟のひとりに陽岱鋼
経歴
プロ入り前

2002年にイタリアで開催された第1回世界大学野球選手権大会のチャイニーズタイペイ代表に外野手として出場。

2004年に母国の台湾で開催された第2回世界大学野球選手権大会チャイニーズタイペイ代表に外野手として出場。同じチャイニーズタイペイ代表として姜建銘(元巨人)が選出された。

2005年に日本で開催された第23回アジア野球選手権大会チャイニーズタイペイ代表に投手として出場。肩の故障のために大学時代は外野や指名打者での出場が多く、ようやく故障が癒えた直後の投手としての選出だった。陽はこの年、本格的に投手に転向することを望んでいたが、打者として戦力にあげられており、大学では投手兼指名打者の役割を担っていた。秋に福岡ソフトバンクホークスに入団。
ソフトバンク時代福岡ソフトバンクホークス時代
(2008年9月13日)

2006年、1年目から一軍で5試合に登板。また第1回WBCチャイニーズタイペイ代表に投手として出場。同大会には弟の仲壽も出場している。これまでに様々な大会に出場してきたが、仲壽と同チームになるのは初めてである。11月初旬に母国台湾で開催された、第16回IBAFインターコンチネンタルカップチャイニーズタイペイ代表代表に投手として出場。

2007年は度重なる左足の怪我に悩まされ、一軍、二軍共に不出場に終わった。

2008年7月27日の千葉ロッテマリーンズ戦で12回表2死から登板し無失点で切り抜けた後、その裏に本多雄一のサヨナラタイムリーが出てプロ初勝利を挙げた。また、2日後の7月29日北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初先発、2死球、2四球と乱れ1死しか取れずに降板し敗戦投手となった。

2009年、一軍出場は4試合に留まった。二軍では22試合に登板し、3勝1敗1セーブ、防御率4.25をマーク。

2010年は先発4試合を含む自己最多の14試合に登板し、7月18日のオリックス・バファローズ戦では、先発での初勝利を挙げるなど、同年は比較的に安定した成績を残した。さらに、10月17日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージの対ロッテ第4戦でも先発を務める(3 2/3回3安打2失点で敗戦投手)など、飛躍の年になった。

オフの11月に開催された広州アジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。


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