陸軍残虐物語
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陸軍残虐物語
監督
佐藤純彌
脚本棚田吾郎
出演者三國連太郎
中村賀津雄
江原真二郎
西村晃
加藤嘉
中山昭二
音楽佐藤勝
撮影仲沢半次郎
製作会社東映東京撮影所
配給東映
公開 1963年6月14日
上映時間98分
製作国 日本
言語日本語
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『陸軍残虐物語』(りくぐんざんぎゃくものがたり)は、1963年公開の日本映画三國連太郎主演、佐藤純彌監督。東映東京撮影所製作、東映配給。目次

1 概要

2 ストーリー

3 スタッフ

4 キャスト

5 製作経緯

5.1 企画

5.2 脚本

5.3 撮影


6 逸話

7 評価

8 同時上映

9 関連書籍

10 脚注

11 外部リンク

概要

佐藤純彌の監督デビュー作[1]。"天皇"の名のもとに、"絶対服従"を強いられ、"人間性の喪失"のみが唯一の逃げ道だった大日本帝国陸軍内務班を舞台に、"皇軍という美名のもとに加えられた残虐の物語をリアルに描く[2][3]

公開当時の本作を紹介する文献に「『世界残酷物語』や『武士道残酷物語』が大ヒットして以来、日本の映画界も、ザンコク・ムード一色...」と書かれていることから[4]、当時の残酷映画ブームにより製作されたと見られる[4]
ストーリー

最愛の女房ウメに見送られて品田中隊に配属された犬丸弥七二等兵は軍務に忠実に服従したが、万事に鈍な犬丸はビンタや嘲笑を浴びた。亀岡善治軍曹は軍紀に厳しく犬丸は亀岡に何かとリンチを受けた。矢崎忠義二等兵は幹部になろうと亀岡に取り入り同僚たちの反感を買った。ある日、鈴木直吉一等兵は犬丸の特配品の饅頭を盗む矢崎を目撃。矢崎の幹部候補生への望みは絶たれる。鈴木と犬丸を恨む矢崎は、鈴木の銃の部品を便所へ捨て、自身の指を切断して除隊しようとする。鈴木と犬丸は糞溜めに潜り込み部品を探す。犬丸の妻ウメが面会に来るが、亀岡は言葉巧みにウメを強姦する。ウメが生きがいだった犬丸は亀岡を追求する。
スタッフ

監督:
佐藤純彌

脚本:棚田吾郎

企画:吉野誠一、矢部恒

撮影:仲沢半次郎

美術:近藤照男

音楽:佐藤勝

録音:鳥巣隆

照明:森沢淑明

編集:長沢嘉樹

助監督:降旗康男

キャスト

犬丸弥七:
三國連太郎

鈴木直吉:中村賀津雄

亀岡善治:西村晃

矢崎忠義:江原真二郎

品田大尉:中山昭二

土屋中尉:亀石征一郎

宮島見習士官:大村文武

臼杵准尉:織本順吉

中原曹長:玉川伊佐男

大谷伍長:今井健二

植村:滝川潤

香取:岡本四郎

塩沢:安藤三男

押川:南道郎

藤山:相馬剛三

犬丸清作:加藤嘉

犬丸トキ:沢村貞子

犬丸ウメ:岩崎加根子

品田里枝:楠侑子

班長A:岡部正純

製作経緯
企画

1961年9月、東映東京撮影所(以下、東撮)所長に赴任した岡田茂(のち、東映社長)は、社会派映画がメインで当たる映画が1本もなかった東撮に大鉈を振るい[5][6]、古手監督を一掃して、新進気鋭の若手監督を抜擢した[1][7][8]。戦記路線を打ち出す時期を狙っていた岡田が[9]、同期の吉野誠一プロデューサーが提出した企画を採用し[1][10]佐藤純彌を監督昇進させたのが本作である[1][11][12]。岡田はこの東撮所長時代に〇〇路線という言い方を発案し[8][9][13][14]、次々と新機軸を打ち出した[9][15][16][17]。"東映ギャング路線""やくざ路線に次ぐ新路線として[8][9][16][18]、本作を戦記路線と名付け、路線化する予定であったが[2]、後述する理由で"戦記路線"は本作一本のみで終了している。
脚本

脚本の棚田吾郎三國連太郎西村晃中山昭二ら、出演者の多くに軍隊の経験がある[3][19]


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