陸軍大学校
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この項目では、日本陸軍の軍学校について説明しています。その地については「陸軍大学校 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「陸軍大学」はこの項目へ転送されています。かつて中華民国に存在した大学については「三軍大学」をご覧ください。
1930年代前半頃の陸大卒業者(首席1名および優等5名)。右胸に陸軍大学校卒業徽章を佩用し、左手に恩賜の軍刀を持った「軍刀組(恩賜組)」である。

陸軍大学校(りくぐんだいがっこう、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:陸軍大學校󠄁)は、大日本帝国陸軍参謀将校養成機関[1]参謀学校)。略称は陸大(りくだい)。現在の陸上自衛隊では、陸上自衛隊教育訓練研究本部指揮幕僚課程に相当する。

陸大は参謀本部の管轄であり、陸大卒業生(参謀適格者)の人事も参謀本部の総務部庶務課が行った[2]。期ごとの人数は草創期を除いて50名から60名で推移し[3]、最終期である60期は120名[4]。卒業者は通算で3,007名[1][注釈 1]

陸軍現役[注釈 2]兵科将校士官候補生に採用され、陸軍士官学校〈陸士〉を卒業して陸軍少尉に任官した者[注釈 3])のうち、陸士同期生の1割程度が陸大に入校できたとされる[6]

なお、陸軍士官学校は、1937年(昭和12年)に、航空兵将校を養成する陸軍航空士官学校(航士)と、航空兵科以外の兵科将校を養成する陸軍士官学校(名称/略称は変更なし)の2つに分かれたが、本記事では昭和12年以降についても陸士・航士を区別せずに記述する。
歴史
創設

1869年(明治2年)9月に、明治天皇が臨席した集議院での会議で「兵式は陸軍は仏式、海軍は英式を可とすること」とされて以来、帝国陸軍はフランス式の兵制を採用してきた[7]1873年(明治6年)の「幕僚参謀服務綱領」、これに代わる1879年(明治12年)の「幕僚参謀条例」により、各兵科の将校から適任者を選んで参謀が選任されており[8]1880年(明治13年)には、フランス共和国陸軍士官学校陸軍大学校1870年(明治3年)から10年間留学した小坂千尋が陸軍参謀大尉となっている[9][注釈 4]

西南戦争という実戦を経て、参謀将校の養成機関を日本国内に設ける必要性が認識され[11]1882年明治15年)11月13日付の「陸軍大学校条例」によって陸軍大学校が設置された[9]。創設当初の陸大は、参謀本部長[注釈 5]の直轄であり、校長が置かれなかった[9]

同年12月以降、幹事の岡本兵四郎歩兵大佐[13]、副幹事の小坂千尋参謀大尉、他に武官教官(大尉から中佐)7名、文官教官(数学科)2名の計11名の教官が任命された[9]


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