陸軍予備士官学校
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陸軍予備士官学校(りくぐんよびしかんがっこう)は、日本陸軍軍学校の一種である。主として兵科予備役将校となる甲種幹部候補生への集合教育を行った。1938年(昭和13年)8月に1校が、翌年以降は複数校が設置され、太平洋戦争大東亜戦争)終結まで存在した。1944年(昭和19年)10月より特別甲種幹部候補生への集合教育を行った。
目次

1 概要

1.1 予備役将校の補充

1.2 陸軍士官学校との違い

1.3 陸軍予備士官学校に準ずる組織


2 沿革

2.1 仙台に1校を設置

2.2 盛岡に移転、2校増設

2.3 奉天校を設置、計4校

2.4 4校のうち2校が移転

2.5 3校を増設、計7校

2.6 終戦まで


3 年譜

4 歴代校長

4.1 陸軍予備士官学校

4.2 前橋陸軍予備士官学校

4.3 豊橋第一陸軍予備士官学校

4.4 豊橋第二陸軍予備士官学校

4.5 久留米第一陸軍予備士官学校

4.6 久留米第二陸軍予備士官学校

4.7 仙台陸軍予備士官学校

4.8 熊本陸軍予備士官学校


5 著名な卒業者

6 跡地

7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 参考文献

9 関連項目

概要
予備役将校の補充詳細は「幹部候補生 (日本軍)」を参照

陸軍では有事の際に多数必要となる下級将校[* 1]中尉および少尉)を、現役将校の他に予備役将校の召集によって満たす方針で、1927年(昭和2年)からはそれまでの一年志願兵にかわり新たに設けられた幹部候補生を主として[* 2]予備役将校を補充するために教育していた。1933年(昭和8年)に幹部候補生は甲種と乙種に分類され、以後は甲種幹部候補生が予備役将校となる教育を受けた[* 3]

1937年(昭和12年)7月、日中戦争支那事変)が勃発し、実際に多数の予備役将校が召集され実戦に配備されると、陸軍は甲種幹部候補生の教育をさらに充実させるため、1938年(昭和13年)4月、陸軍補充令改正(勅令第137号)によって修業期間の延長と、それまでの各部隊内での教育から軍学校等へ甲種幹部候補生を派遣した集合教育に切り替えた[1]。これにもとづく新たな兵科予備役将校養成のための教育機関として、同年同月、陸軍予備士官学校令(勅令第139号)とともに制定されたのが陸軍予備士官学校である[2]
陸軍士官学校との違い

陸軍予備士官学校は「予備役将校ト為スベキ生徒ヲ教育スル所トス」「生徒ハ甲種幹部候補生ヲ以テ之ニ充テ(後略)」[3]と陸軍予備士官学校令の第1条および第2条に定められた、甲種幹部候補生を生徒として兵科予備役将校となる教育を行う学校である。それに対して、1874年(明治7年)東京府市ヶ谷台に開校し、1937年(昭和12年)神奈川県座間町に移転した陸軍士官学校は、兵科将校となる生徒を教育する点では同様であるが、陸軍士官学校令(勅令第744号)第1条および第2条において「各兵科(憲兵科及航空兵科ヲ除ク以下之ニ同ジ)将校ト為スベキ生徒ヲ教育スル所トス」「生徒ハ各兵科士官候補生ニシテ所定ノ隊附勤務ヲ習得シタル者ヲ以テ之ニ充テ(後略)」(1938年12月改正時点)[4]と定められ、士官候補生を生徒として兵科現役将校となる教育を行う点が根本的に異なる。さらに陸軍予備士官学校の入校期間が1年未満と短期間であるのに対し、陸軍士官学校は予科を含めて複数年の教育を行う(入校期間は時代によって異なる)点にも違いがある。戦時、平時を問わず恒常的に軍務につく、いわゆる「職業軍人」として陸軍の本流となる兵科現役将校に必要な素養を、できる限り時間を掛けて教育したのが陸軍士官学校である。

陸軍予科士官学校も、わずか一字違いのために混同されやすく注意が必要である。陸軍予科士官学校とは陸軍士官学校予科を前身として1937年(昭和12年)市ヶ谷台に設置され[5]、「各兵科士官候補生ト為スベキ生徒 及各兵科(憲兵科ヲ除ク)将校ト為スベキ学生ヲ教育スル所トス」「生徒ハ陸軍幼年学校ヲ卒業シタル者又ハ陸軍将校タルコトヲ志願シ召募試験ニ合格シタル者ヲ以テ之ニ充テ(後略)」[6]と定められ、陸軍幼年学校卒業者、あるいは中学校出身者など[* 4]を生徒として、前記の陸軍士官学校へ入校する士官候補生となるための教育(および現役下士官、准士官の陸軍少尉候補者を学生として兵科現役将校となる教育[* 5])を行う学校である。陸軍予科士官学校も生徒教育、学生教育ともに兵科現役将校養成が目的であった。
陸軍予備士官学校に準ずる組織詳細は「幹部候補生 (日本軍)#甲種幹部候補生の教育施設」を参照

甲種幹部候補生の集合教育は、多くの陸軍諸学校や官衙[* 6]を利用して行われた。各部では陸軍経理学校など、また各兵科においても専門の技術教育の必要性から陸軍工兵学校仙台陸軍飛行学校などに幹部候補生隊を組織して集合教育を行う場合があった。


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