陸羽東線
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「湯けむり (列車)」はこの項目へ転送されています。かつて上野駅 - 水上駅・石打駅間を運行した臨時準急列車・急行列車「ゆけむり」とは異なります。

陸羽東線
陸羽東線で使用されるキハ110系気動車
(2007年2月 鳴子温泉駅東方)
基本情報
通称奥の細道湯けむりライン
日本
所在地宮城県山形県
起点小牛田駅
終点新庄駅
駅数27駅
電報略号リトセ[1]
開業1913年4月20日
全通1917年11月1日
所有者東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者東日本旅客鉄道(JR東日本)
使用車両使用車両を参照
路線諸元
路線距離94.1 km
軌間1,067 mm
線路数単線
電化方式全線非電化
最大勾配18.2
閉塞方式特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
保安装置ATS-SN[2]
最高速度95 km/h

路線図


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陸羽東線(りくうとうせん)は、宮城県遠田郡美里町小牛田駅から山形県新庄市新庄駅までを結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線地方交通線)である。全線に「奥の細道湯けむりライン」の愛称が付けられている。
概要

東北地方では幹線の東北本線奥羽本線が南北に縦貫している。陸羽東線はその両者を連絡する路線の一つで、1917年(大正6年)に全線が開通した。全線が単線非電化である。起点側の小牛田駅、古川駅付近は大崎平野の田園地帯であり、路線の中間は鳴子温泉などの温泉地を抱く奥羽山脈のただなか、終点側の新庄駅付近は新庄盆地の中である。起点の小牛田駅では石巻線、終点の新庄駅では陸羽西線にも接続しており、石巻線、陸羽東線、陸羽西線の3路線によって、太平洋側と日本海側が結ばれている[3][4]。陸羽東線はかつて急行列車の運転経路であり、また幹線が不通になった際の迂回経路としての役割も持っていたが、交通環境の変化でそれも薄れた。近年では観光列車やイベント列車が運行されており、観光路線の一面を持つようになった[5][6]クルーズトレインTRAIN SUITE 四季島」の乗り入れも度々行われている。その一方、路線の乗客数の少なさが問題にもなっている[7](「平均通過人員」節も参照)。

全線が大都市近郊区間の「仙台近郊区間」で、小牛田駅から古川駅までの各駅と鳴子温泉駅でICカード乗車券Suica」が利用可能である[8][9][注 1]
歴史

1892年(明治25年)、国が建設すべき鉄道路線を定めた鉄道敷設法が公布された。この中の奥羽線の部において、「福島県下福島近傍ヨリ山形県下米沢及山形、秋田県下秋田青森県下弘前ヲ経テ青森ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ山形県下酒田ニ至ル鉄道」、「宮城県下仙台ヨリ山形県下天童若ハ宮城県下石ノ巻ヨリ小牛田ヲ経テ山形県下舟形ニ至ル鉄道」等が規定された。これらのうち小牛田より舟形町までの区間が陸羽東線に当たる。その他の路線は、順に奥羽本線、陸羽西線、仙山線、石巻線に当たる。しかし、奥羽線が1905年(明治38年)に全線開通したものの、他の路線は着工されなかった。このため、関係する自治体は早期着工の陳情活動を行い、1910年(明治43年)に小牛田から新庄、新庄から酒田までの区間が重要な路線として優先的に建設される第一期線に編入された[10][11]

陸羽東線の建設においては、計画されていた経路の一部が誘致活動により変更された。鉄道敷設法では「舟形ニ至ル鉄道」と規定されていたが、新庄町の誘致によって陸羽東線の終点は舟形町から新庄町に変わった[10]。また宮城県側では古川から岩出山へ直線的な線路の敷設が計画されていたが、第一期線編入後に加美郡の町村長達が陳情を行い、加美郡中新田町に近い志田郡志田村まで線路が引き込まれ、ここに中新田駅(現在の西古川駅)が設置される事になった。しかし、中新田町の近くといっても加美郡内に鉄道が引かれるわけではなかったので、鉄道敷設のために寄付金を準備していた中新田町の町会は紛糾したという[12]

陸羽東線の建設は1910年(明治43年)から行われた。『最上町史』によれば、1910年(明治43年)に測量、1911年(明治44年)から実質的な工事が行われた。まず1913年(大正2年)に、小牛田駅 - 岩出山駅間が陸羽線(りくうせん)として開業し、1914年(大正3年)に川渡駅(現・川渡温泉駅)まで、1915年(大正4年)に鳴子駅(現・鳴子温泉駅)まで延伸した。新庄側では、1915年(大正4年)に新庄駅 - 瀬見駅(現・瀬見温泉駅)が新庄線(しんじょうせん)として開業し、1916年(大正5年)に羽前向町駅(現・最上駅)まで延伸した。全線開通は1917年(大正6年)で、その際、新庄線が陸羽線に編入されて陸羽東線と改称した[10][13]。総工費は600万6880円だった[14]。当時の建設事務所が記した陸羽東線建設概要には、陸羽東線は仙北軽便鉄道や陸羽西線と連絡して太平洋側の石巻や日本海側の酒田を結ぶ奥羽地方における重要な山脈横断鉄道であると記されている[10]。陸羽東線と同時に鉄道敷設法に記されていた石巻から小牛田の区間は私鉄の仙北軽便鉄道により1912年(大正元年)に開通し、陸羽西線は1914年(大正3年)に全線開通した。宮城県と山形県を結ぶもう一つの路線である仙山線の全線開通は陸羽東線全線開通から20年後の1937年(昭和12年)だった。

第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)には、新庄付近の奥羽本線との並行区間の線路が不要不急線として撤去されたが、戦後の1960年(昭和35年)に原状に復している。

1959年(昭和34年)から1960年代にかけて、陸羽東線で準急列車急行列車が運転されるようになった。準急「たざわ」「もがみ」、急行「みちのく」「千秋」である。「たざわ」「もがみ」「千秋」は陸羽東線経由で太平洋側の仙台駅と、酒田駅や秋田駅などの日本海側の都市の各駅を結ぶ列車だが、「みちのく」は鳴子駅と東京の上野駅を結ぶ直通列車だった[14]。列車の歴史については「#過去の優等列車」を参照
年表

1913年(大正2年)4月20日:小牛田駅 - 岩出山駅間 (24.8 km) を陸羽線として新規開業、古川・中新田・岩出山の各駅を新設。

1914年(大正3年)

4月19日:岩出山駅 - 川渡駅間 (14.0 km) を延伸開業、池月・川渡の各駅を新設。

9月13日:北浦駅を新設。


1915年(大正4年)

4月18日:川渡駅 - 鳴子駅間 (6.1 km) を延伸開業、鳴子駅を新設。

6月11日:古川駅を陸前古川駅に改称。

11月1日:新庄駅 - 瀬見駅間 (19.1 km) を新庄線として新規開業、長沢・瀬見の各駅を新設。


1916年(大正5年)8月1日:瀬見駅 - 羽前向町駅間 (9.4 km) を延伸開業、羽前向町駅を新設。

1917年(大正6年)11月1日:鳴子駅 - 羽前向町駅間を延伸開業し全通、陸羽線に新庄線を編入して陸羽東線と線名改称、中山平・堺田・富沢の各駅を新設。

1927年(昭和2年)2月3日:瀬見駅付近で、下り701列車に大雪崩が襲来し車両転覆。3名即死。

1929年(昭和4年)2月13日:長沢駅 - 瀬見駅間で、吹雪のため小牛田行き列車が立ち往生。12時間後に134人が救出される。

1934年(昭和9年)5月15日:小牛田駅 - 陸前古川駅間ガソリンカー運転開始[15]


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