陸 喜(りく き、? - 284年)は、中国三国時代の呉から西晋にかけての政治家。字は恭仲。本貫は揚州呉郡呉県。父は陸瑁。伯父は陸遜。子は陸育
。甥に陸曄・陸玩。陸喜は若い時から声望と名声があり、学問を好み、そのうえ才気と思いを運らすことを得意とし、文章典籍を読みあさり、人と交際することを好んだ。
呉に仕え、選曹尚書、吏部尚書を歴任した[1]。
建衡元年(269年)、陸凱は亡くなる直前、国の支えとなる人物の一人として陸喜の名を挙げている[2]。
天紀4年(280年)、呉が西晋に滅ぼされると、陸喜は在野に下った。
後の太康年間に、西晋朝廷は、呉などの在野の人物で陸喜などの貞潔で忠義あふれる人材を褒め称え、各部門の長官に礼をもってこれらの人物を官に授けるように命じて、ようやく官に任用する事ができるようになった。
これにより陸喜は西晋で散騎常侍に任命されたが、ほどなく太康5年(284年)4月に逝去した[3]。
家系図
陸続