陸前落合駅
南口(2023年9月)
りくぜんおちあい
Rikuzen-Ochiai
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所在地仙台市青葉区落合二丁目8-20.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度16分24.33秒 東経140度47分25.47秒 / 北緯38.2734250度 東経140.7904083度 / 38.2734250; 140.7904083
陸前落合駅(りくぜんおちあいえき)は、宮城県仙台市青葉区落合二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙山線の駅である[1]。 宮城郡広瀬村(現在の仙台市青葉区の一部)の住民と、地元政治家の働き掛けで作られた請願駅[3]。駅名を付けたのは、その運動の中心人物で仙山東線(現・仙山線の一部)の始発駅がある仙台市市会議員・富田春之進だと言う[3]。開業当初は駅前に集落が無かったが、次第に国道48号沿いが発展した。 1960年代の乗車人員急落後、利用は振るわなかったが、周辺の丘陵地に住宅地が造成されたり、1983年駅周辺に宮城県宮城広瀬高等学校が開校、1984年2月1日のダイヤ改正で、仙台 - 愛子間列車が増発されると利用者が増加に転じた。 一方、1983年に仙台西道路が開通すると西道路経由のバス路線も開設され、都心部へ通勤通学では仙山線の競争相手となった。宮城県道37号仙台北環状線が開通し西道路への流入が増加すると、ラッシュアワーの西道路の渋滞が慢性化する。結果、都心部への速達路は、北仙台駅で仙山線から仙台市地下鉄南北線(1987年開通)に乗換える経路となり、陸当駅の地位が向上した。 宮城町が仙台市と合併して政令指定都市化した後は、特定都区市内駅に加えられた。国道48号沿い住宅地と丘陵地の住宅地の間に残っていた農地が、減反政策の中で農地指定が解除されて急速に住宅地や商業地に転換が進んだ。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅[1]。仙山線内では唯一の橋上駅舎を持つ。改札口は線路をまたぐ自由通路に開き、駅舎の出口は南北にある。 仙台地区センター
歴史
年表
1929年(昭和4年)9月29日:宮城郡広瀬村に鉄道省仙山東線の駅として開設[1][2]。
1937年(昭和12年)11月10日:仙山線全通に伴い、同線の駅となった。
1955年(昭和30年)2月1日:昭和の大合併に伴い、宮城郡宮城村内に位置することになった。
1963年(昭和38年)11月3日:町制施行に伴い、宮城郡宮城町内に位置することになった。
1971年(昭和46年)4月1日:貨物取扱廃止[4]。出改札要員を廃止し[5]、運転要員のみ配置[6]。
1983年(昭和58年)4月1日:宮城県宮城広瀬高等学校が開校し、当駅が最寄駅となった。
1985年(昭和60年)3月14日:CTC化に伴い、無人駅化。
1986年(昭和61年)10月15日:乗車駅証明書発行機設置[7]。
1987年(昭和62年)
3月1日:仙台駅から駅員派遣(無人駅特改、事実上の有人駅化)。
4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる[2]。
11月1日:宮城町が仙台市と合併、仙台市内に位置することになった[2]。
1989年(平成元年)4月1日:仙台市の政令指定都市移行に伴い、青葉区内に位置することになった[2]。
2003年(平成15年)
6月5日:自動改札導入[8]。
10月26日:ICカード「Suica」の利用が可能となる[9]。
2005年(平成17年)3月28日:新駅舎完成、橋上駅化、マルス端末設置、快速停車
2006年(平成18年)12月15日:管理駅が北仙台駅から愛子駅に変更。
2012年(平成24年)10月1日:社員配置(愛子駅所属陸前落合駅在勤)を廃止し東北総合サービスへ業務委託。
2020年(令和2年)10月1日:愛子駅業務委託化に伴い、仙台地区センター管理下となる。
2021年(令和3年)9月30日:みどりの窓口の営業を終了[10]。
駅構造