Terence Tao
テレンス・タオ
テレンス・タオ(2006年)
生誕 (1975-07-17) 1975年7月17日(43歳)
オーストラリア アデレード
居住 アメリカ合衆国 ロサンゼルス
国籍 オーストラリア
アメリカ合衆国
研究分野数学
研究機関カリフォルニア大学ロサンゼルス校
出身校フリンダース大学
プリンストン大学
主な業績グリーン・タオの定理
主な受賞歴ボッチャー記念賞(2002年)
クレイ研究賞(2003年)
フィールズ賞(2006年)
キング・ファイサル国際賞(2010年)
クラフォード賞(2012年)
ロイヤル・メダル(2014年)
プロジェクト:人物伝
テレンス・タオ(Terence Tao、陶哲軒、1975年7月17日 - )はオーストラリア人数学者。カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授。専門は実解析、調和解析、微分方程式、組合せ論、整数論、表現論。
2004年に長い間の整数論の難問(素数の集合の中には任意の長さの等差数列が存在すること)を解決し(ベン・グリーンとの共同研究)、その成果により2006年にフィールズ賞を受賞した。他に掛谷予想への貢献。KdV方程式が大域解を持つことを示した。表現論とシンプレクティック幾何学に組合せ論的手法を持ち込みエルミート計量に関するHorn予想を解決(Allen Knutsonとの共同研究)。2012年、弱いゴールドバッハ予想にも貢献した。 両親は、上海と香港からの移民(第1世代)である。父は上海出身の小児科医であり、母は香港人、元数学教師である。二人は香港大学で出会った。2歳にして数学の才能を開花させ、幼少期から数字に囲まれた生活をしていたという。弟が2人おり、3兄弟揃って数学に飛び抜けた能力を持つ。 9歳で実家からほど近いフリンダース大学に飛び級で入学し、本格的に数学の勉強に取り組んだ。1986年、10歳にして国際数学オリンピックに出場し、銅メダルを獲得した。そして、翌年には銀メダルを獲得し、さらに翌年には史上最年少で金メダルを獲得した。ちなみに、この記録は、現在でも破られていない。また、弟2人も国際数学オリンピックで銅メダルを獲得している。 本人は、後に「幼い頃から難しい問題を次々と解くことで、思考が磨かれていった」として、英才教育が自身の卓越した才能を伸ばす手助けになったと振り返っている。 タオは、24歳にしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校の正教授に就任し、専門領域として調和解析を選んだ。そして、その後は、整数論、偏微分方程式、組合わせ論など数学のフィールドを広げていった。これほどに研究の枠を広げることは、数学者として異例なことである。 既婚者で息子と娘がいる。
目次
1 幼少?学生時代
2 分野の垣根を越えた数学者
3 略歴
4 主な業績
5 受賞歴
6 脚注
7 外部リンク
幼少?学生時代
分野の垣根を越えた数学者
略歴 ポール・エルデシュ(左)とテレンス・タオ(当時10歳)、1985年撮影
1975年 - オーストラリアのアデレードに生まれる
1988年 - 国際数学オリンピックにて史上最年少で金メダルを獲得
1991年 - フリンダース大学卒業
1992年 - 同大学院で修士号取得
1995年 - プリンストン大学で博士号を取得
2000年 - カリフォルニア大学ロサンゼルス校数学科正教授
2007年 - 王立協会フェロー選出[1]。
主な業績
2004年 - 数論の難問「素数の集合の中には任意の長さの等差数列が存在すること」を解決。
2012年 - 弱いゴールドバッハ予想で全ての 3 以上の奇数は高々 5 個の素数の和で表せることを証明[2]。
2013年 - 素数が極端に偏ることなく分布することに関する素数の新定理発見[3][4][5]。