陳偉殷
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チェン・ウェイン(陳 偉殷)ロングアイランド・ダックス #52
マイアミ・マーリンズ時代(2018年)
基本情報
国籍 中華民国台湾
出身地高雄県仁武郷
生年月日 (1985-07-21) 1985年7月21日(38歳)
身長
体重183 cm
86 kg
選手情報
投球・打席左投右打
ポジション投手
プロ入り2004年
初出場NPB / 2005年4月3日
MLB / 2012年4月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


高雄市私立高苑高級工商職業学校

国立体育大学

中日ドラゴンズ (2004 - 2011)

ボルチモア・オリオールズ (2012 - 2015)

マイアミ・マーリンズ (2016 - 2019)

千葉ロッテマリーンズ (2020)

阪神タイガース (2021 - 2022)

ロングアイランド・ダックス (2024 - )

国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイ
五輪2004年2008年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

陳 偉殷
各種表記
繁体字:陳 偉殷
?音:Chen W?iy?n
和名表記:ちん いいん
発音転記:チェン・ウェイン
英語名:Chen Wei-Yin
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陳 偉殷(チェン・ウェイン、1985年7月21日 - )は、台湾高雄県出身のプロ野球選手投手)。左投右打。
経歴
プロ入り前

高校時代に公式戦で22奪三振を記録する。プロ入りに際してはMLB球団を含む複数球団からオファーを受けていたが、当時中日ドラゴンズのアジア地区担当スカウトであった大豊泰昭が交渉にあたり、2003年末に国立体育大学学生の身分のまま中日に入団した。登録名は「チェン」。
中日時代中日ドラゴンズ時代
(2011年8月27日)

2004年は、6月に一軍昇格するが[1]登板はなかった。アテネオリンピックで台湾(チャイニーズタイペイ)代表に選出された。

2005年は、4月3日の横浜ベイスターズ戦(ナゴヤドーム)で一軍初登板したが、2回5失点という内容だった[2][3]。同年はプロ初セーブを記録。また、同年に一軍登板を果たしたため母国での兵役期間が短縮され、オフに2週間の兵役を完了した[4]

しかし2006年秋に左肘の靱帯断裂と疲労骨折が判明し、手術を受けた。翌2007年はそのリハビリも兼ねて育成選手として契約。

2008年には肘が完治し、再び支配下選手として契約。4月2日に東京ドームで開催された対読売ジャイアンツ(巨人)戦で、山本昌が負傷降板した後に登板し来日初勝利、7月16日の対巨人戦で先発での初勝利。北京オリンピック台湾(チャイニーズタイペイ)代表として日本国内球団所属選手から唯一代表に選出された。9月22日の東京ヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)ではプロ初完投・初完封勝利を挙げた[5]

2009年はストレート(フォーシーム)の被打率は球界トップの.183。開幕3戦目の4月5日の対横浜ベイスターズ戦でシーズン初先発し、6回3安打無失点で初勝利を挙げた。8月の月間成績は4試合33イニングで1完封を含む3勝0敗、防御率0.82、WHIP0.79の活躍で自身初の月間MVPを受賞。クオリティ・スタート (QS) を19回記録したが、そのうち11回で勝ち星がつかないなど打線の援護に恵まれず、6月の故障離脱もあり8勝に終わった。2桁勝利には届かなかったものの、シーズンを通して安定感を誇り、防御率1.54と2位以下に大差をつけ最優秀防御率のタイトルを獲得した[6]。また、シーズン通算4完封は吉見一起涌井秀章と並び両リーグ最多であった。この年、球速は自己最高の154km/hに達していた[7]

クライマックスシリーズ (CS) では、第1ステージ(対ヤクルト)第1戦、第2ステージ(対巨人)第2戦に先発するも敗戦投手となり、中日のクライマックスシリーズ先発投手の中では唯一勝ち星が付かなかった。オフには6年間交際をしていた台湾人女性と結婚し[8]、また、自身がメジャーリーグを志望していることを公言し[9]オクタゴン・ワールドワイドと代理人契約を結んだ[10]

2010年は開幕2戦目に先発して完封勝利を挙げる。その後も安定した投球を続け、7月には4勝0敗、防御率2.25、WHIP1.11の活躍。8月17日の対巨人戦(ナゴヤドーム)では8回3安打1失点で勝利投手となり、自身初の2桁勝利となる10勝目を記録した[11]が、2021年終了時点でも、NPBでの2桁勝利は同年が唯一である。9月には2勝1敗、防御率0.69、WHIP1.04の好投でチームのリーグ優勝に貢献。最終的にはチームトップの13勝10敗、防御率2.87、WHIP1.14を記録した。日本シリーズでは2試合に登板。第2戦に勝利し、第6戦も好投したもののこの年ホールドポイントの日本記録を樹立、中継ぎとして大車輪の活躍だった浅尾拓也が8回に同点適時打を打たれ勝利投手の権利が消滅。1勝に終わった。

2011年のキャンプでは臨時コーチとして訪問した杉下茂からフォークボールを学んだが、左足の故障で開幕を出遅れる。5月に復帰し、防御率、WHIP共に前年より良化させたが、6月には月間防御率3.29、WHIP1.10ながら4試合の登板で1点しか援護が得られず、4連敗を喫するなど打線の援護に恵まれないことも多く、防御率とWHIPは前年より良化したものの、8勝10敗と負け越した。オフに自身のメジャー挑戦の意思が尊重され、自由契約公示された。
オリオールズ時代

2012年1月10日、ボルチモア・オリオールズと3年総額1200万ドル(4年目は年俸475万ドルの球団オプション)で契約する[12]。4月10日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初先発し、5回2/3を7安打、4失点で降板[13]。17日のシカゴ・ホワイトソックス戦で、5回1/3を6安打、2失点でメジャー初勝利[14]。6月1日のレイズ戦で「憧れの選手。全力で勝負したい」という松井秀喜と対戦し、初回に2点本塁打を打たれる[15]。前半戦は17試合の先発で7勝5敗、防御率3.93、WHIP1.27の成績で折り返し、29日のオークランド・アスレチックス戦では5回1/3を3安打、1失点、台湾人メジャーリーガー史上最多となる12奪三振を記録する[16]


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