陰極線
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出典検索?: "陰極線" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年2月)
ヘルムホルツコイルが作る磁場によって陰極線のビームが曲げられて円を描いている。陰極線は本来目に見えないが、このガラス管では残留気体の密度が高く、高速の電子と衝突した気体原子が蛍光を発することで観察が可能になっている。

陰極線(いんきょくせん、: Cathode ray)とは、真空管の中で観察される電子の流れである。真空に排気されたガラス容器に一対の電極を封入して電圧をかけると、陰極(電源のマイナス端子に接続された電極)の逆側にある容器内壁が発光する。その原因は陰極表面から電子が垂直に撃ち出されることによる。この現象は1869年にドイツの物理学者ヴィルヘルム・ヒットルフによって初めて観察され、1876年にオイゲン・ゴルトシュタインによってKathodenstrahlen(陰極線)と名付けられた[1][2]。近年では電子線や電子ビームと呼ばれることが多い。

電子が初めて発見されたのは、陰極線を構成する粒子としてであった。1897年、英国の物理学者J・J・トムソンは、陰極線の正体が負電荷を持つ未知の粒子であることを示し、この粒子が後に「電子」と呼ばれるようになった。初期のテレビに用いられていたブラウン管(CRT、cathode ray tubeすなわち「陰極線管」)は、収束させた陰極線を電場や磁場で偏向させることによって像を作っている。
概要高圧電源と接続されたクルックス管の模式図。マルタ十字型の金属板は外部回路から独立している。

「陰極線」の名は、真空管の陰極から放出されるビームであることからつけられた。電極から電子を放出させるには、電極を構成する金属原子から電子を引きはがさなければならない。「クルックス管」と呼ばれる初期の冷陰極真空管では、両極間に高い電圧をかけることで管内の残留ガスをイオン化させ、電場によって加速された陽イオンが陰極に衝突して電子を叩き出す仕組みだった。その後は熱電子放出を利用する真空管が主流となった。この方式では陰極は金属細線のフィラメントであり、電流を流して加熱できるようになっている。フィラメント内部のランダムな熱運動が激しさを増すと、陰極表面から電子が叩き出され、管内の空間に放出される。

電子は負の電荷を持っているので、陰極からの斥力と陽極からの引力を受け、管内の空間を一直線に飛んでいく。電子は質量が小さいため両極間の電圧によって大きく加速される。陰極線は目に見えないが、ガラスの管壁にぶつかるとその中の原子を励起して蛍光と呼ばれる光を発させることから、初期の真空管の中に存在していることが知られるようになった。当時の研究者は陰極の前に置かれた物体が影を作ることに気づき、陰極から何かが直線的に放出されているのを認識した。電子が陽極に到達すると、陽極から導線を伝って電源へ流れ、陰極に送り返されてくる。すなわち、真空管の中で陰極から陽極に至る電子の流れが陰極線である。

陰極線が運ぶ電流量を制御するには、金属線を編んで作ったスクリーン(グリッド電極)を陰極の近くに設置しておいてわずかに電圧をかけ、陰極線がグリッドを通るようにすればいい。こうすると、金属線から電場を作用させて電子の一部を跳ね返し、陽極に届かないようにすることができる。すなわちグリッド電極のわずかな電圧を変化させることで陽極電流を制御することができる。真空管で電気信号の増幅が行えるのはこの原理による。陰極線は高速の電子からなるため、偏向電極に電圧を印加して作った電場や、導線コイル(電磁石)で作った磁場を通じて偏向させることができる。これらの技術はテレビやコンピュータディスプレイで用いられているブラウン管や、電子顕微鏡に応用されている。

クルックス管。

管底の陰極から発した陰極線が手前のガラス壁に当たり、緑色の蛍光を発させている。管内に置かれた十字型の金属板が影を作っているのは、陰極線に直進する性質があるためである。

U字磁石によって管の頸部に水平方向の磁場が作られると、陰極線が上方に偏向されるために十字型の影は上方にずれる。

磁石の向きを反転させると、陰極線が下方に偏向され、影は下方にずれる。ピンク色の光は陰極線が残留気体の原子とぶつかることで生じている。

歴史

1654年にオットー・フォン・ゲーリケ真空ポンプを発明すると、物理学者たちは希薄空気に高電圧の電気を加える実験に取り組み始めた。1705年には、希薄空気の中では静電発電機によるスパーク(英語版)が大気圧下より長い距離にわたって発生することが判明した。
ガス放電管低圧放電管に電流を流すことで発生するグロー放電。聖キュリロス・メトディオス大学物理学部のOliver Zajkov教授による。

1838年、マイケル・ファラデーは希薄空気で満たされたガラス管に電流を通す実験を行い、奇妙な光のアークが陰極から陽極まで伸びていることに気づいた[3]。1857年、ドイツ人の物理学者で吹きガラス職人でもあったハインリッヒ・ガイスラーは、改良されたポンプを用いて真空度10−3 atmにまで減圧すると、管内にアークではなくグロー光が発生することを発見した。このとき電極間に加えられていた電圧は誘導コイルによって発生させたもので、数kVから数100 kVまでの間だったと考えられる。この発光管は現代のネオンサインと似たもので、ガイスラー管と呼ばれるようになった。

これらの現象は、空気に含まれている電荷を帯びた原子(イオン)が高電圧によって加速されたために起きたと説明された[要出典]。希薄空気では気体原子の間に十分な空間が開くため、イオンの加速は原子と衝突することで電子を弾き出せるまでになる。これによりさらなる陽イオンと自由電子が生まれ、連鎖的に反応が進む[要出典]。生じた陽イオンはすべて陰極に引き付けられていき、その表面に衝突することで多数の電子を叩き出す[要出典]。電子はすべて陽極に引き付けられていく。

ガイスラー管の中にはある程度の空気が残っており、電子はわずかな距離を進んだだけで気体原子と衝突する。このようなゆっくりした拡散過程では電子の速さはそれほど高くならないため、ガイスラー管で陰極線が形成されることはない。その代わり、イオンや自由な電子が気体原子と衝突してその軌道電子をより高い準位に励起させることで、鮮やかな色のグロー放電ネオンサインで利用されている発光機構)が生じる。励起された軌道電子が光としてエネルギーを放出する過程を蛍光という。
陰極線クルックス管。陰極線は陰極(左端)から一直線に進み、管の右端の壁にぶつかって蛍光を発させる。

1870年代までに、英国の物理学者ウィリアム・クルックスをはじめとする研究者は真空管の真空度をさらに向上させ、10−6 atm以下にすることに成功した。この種の真空管はクルックス管と呼ばれた。ファラデーはクルックス管の陰極近傍に蛍光を発しない暗領域が作られることを初めて発見した。この部分は「陰極暗部」や「ファラデー暗部」、「クルックス暗部」などと呼ばれるようになった。クルックスがさらに真空度を高めると、ファラデー暗部は陰極から陽極まで広がり、管全体が完全に光を発しなくなった。その代わりに陽極側の端で真空管の壁そのものがグロー光を発しはじめた。

このとき、管から空気が排気されていくにつれ、電子が気体原子と衝突するまでに進む平均距離が伸びていったと考えられる。管が完全に暗くなるとき、大部分の電子は陰極から陽極側の管底まで一度も衝突することなく進んでいる。衝突する相手がいなければ、質量が軽い電子は電極間の電圧によって加速されて大きな速度に達する。こうして陰極線が形成される。

電子が陽極側の端に到達すると、速度が高くなっているため陽極からの引力を振り切ってその横を通り過ぎ、管の端の壁に衝突する。電子がガラス壁を構成する原子とぶつかると、その軌道電子は励起されてより高い準位に移り、蛍光を生じさせる。


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