陣屋
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、日本の近世史における「陣屋」について説明しています。神奈川県鶴巻温泉の「陣屋旅館」については「元湯・陣屋」をご覧ください。
三日月陣屋の長屋門(復元)

陣屋(じんや)は、日本の近世史において領主の所領の拠点となる場所に置かれた以外の構築物であり多義的な概念である[1]。なお、古代史では宮中など(宮城や京師)を警固する衛士の詰所、中世史では合戦時に兵士が臨時に駐屯する軍営などを陣屋と呼んだ[2]。以下では日本の近世史の用語としての「陣屋」について述べる。
概要足守陣屋の小規模な堀と石垣

日本の近世史の「陣屋」の概念は多義的で、主に領主の所領の拠点となる場所に置かれた城郭以外の構築物を様々な形で指す概念となっている[1]。以下のような意味がある。
江戸幕府が地方支配のために置いた郡代代官などの役所[3] - 江戸初期の関東の代官陣屋などで元禄年間には全国の天領に陣屋が置かれた[2]

大名のうち家格が国主・城主格でない者[3](無城の小大名や交代寄合)の屋敷[2]

旗本や代官などの支配地における居所(役宅や屋敷)[2][3]あるいは用水方の普請役の詰所[2]

大藩の重臣が城下町の外などに設けた居所[2][3]

藩が飛地を支配するために設けた役所(近世後期に蝦夷地の防備を目的として構築された施設を含む)[2][3]

なお、京都市の「小川家住宅」(国重要文化財)は「二条陣屋」と呼ばれており、江戸時代の町家であるが、西国大名が宿舎として使用したことで知られる[4]

江戸時代には飯野陣屋上総国)、敦賀陣屋(越前国)、徳山陣屋(周防国徳山城)が「日本三(大)陣屋」と呼ばれていた[5][6]
構築者

陣屋は構築者によって幕府の陣屋と大名(諸藩)の陣屋に大別される[1]。幕府の陣屋は、さらに1.直轄領を統括する「代官所」・「代官陣屋」・「陣屋」、2.旗本が所領の拠点とした「陣屋」、3.高禄の交代寄合が所領の拠点とした「陣屋」に分けられる[1]

また、大名(諸藩)の陣屋は、城持ちでない1?3万石程度の小藩が藩領の政治的・軍事的拠点とした場所で、『武鑑』で「城」に対して「在所」と記したものをいう[1]。本藩に対して支藩が独立的な場合には、その支藩の在地にも陣屋が置かれた[1]

幕府は武家諸法度で城の修築について厳しい統制を行った[3]。一般的には、城は複数の曲輪をもつ戦略上の拠点として即応できる常備施設に当たるものをいい、陣屋は単郭を基本とする在地支配のための政庁で、堀、土塁、石垣はあっても戦闘に即応できる施設といえない程度の施設をいった[7]

なお、幕府領や旗本領と、藩領との間で相互交換が行われた飛地領などでは陣屋の転用も行われた[1]
所領構造

幕府の陣屋は、支配機構の観点から上位に位置する「元陣屋」と下位にある「出張陣屋」に分けられる[1]

また、大名(諸藩)の陣屋の場合、小藩で幕府から城持ちの許可が得られずにその代用とした施設のほか、より大きい藩でも一円的な所領形態や分散的な所領形態のために陣屋が設けられた[1]

外様大名の場合は一円的な所領形態をとる傾向があり、一国一城令のために従来の支城に代えて設置された[1]。しかし、藩によって名称は異なり、仙台藩では「要害」や「所」、岡山藩では「御茶屋」、鹿児島藩では「麓」と呼ばれる構造物が設置されたが、これらは機能的に陣屋とみなすことができる[1]。陣屋にあたる構築物の名称や形態上の違いは、政治経済、軍事、治安維持などの違いから生じるとされるが、形態的にみると周辺に侍屋敷や町屋敷が配置される「小城下町」が形成された[1]

一方、譜代大名の場合は分散的な所領形態をとる傾向があり、要職に就く大名家では本来の所領とは別にまとまった土地を与えられることも多く、城地から離れた飛地に「陣屋」(「役所」や「代官所」と称される場合もあった)が置かれた[1]

なお、城持ちでない大名は本拠に陣屋を構えたが、それとは別に飛地を領有する場合には飛地にも陣屋を置くことがあった[1]
建物が現存する陣屋

桜町陣屋栃木県真岡市) - 1699年元禄12年)小田原藩主・大久保忠朝の三男の教信が、宇津家を再興して野州桜町4000石を知行し陣屋を創設。茅葺屋根の建物が現存している。

韮山代官所静岡県伊豆の国市) - 主屋・蔵・門・塀などの建物や、保有する古文書などの資料は、国の重要文化財となっている。

高山陣屋岐阜県高山市) - 飛騨郡代の役所、天領の陣屋として唯一主要な建物が現存している。

名張陣屋三重県名張市) - 大名陣屋、正確には藤堂氏一門の名張藤堂家の陣屋。御殿を構成した建物の一部(中奥など)が現存する。

園部陣屋京都府南丹市) - 幕末に建てられた櫓や門、番所が現存する。幕末に陣屋から城に格上げされたため城郭構えの陣屋である。

西江家住宅主屋ほか(岡山県高梁市) - 天領の陣屋で間口27mの楼門と3段構えの石垣、主屋と郷蔵・味噌蔵・籾蔵・道具蔵・材木蔵、御白州跡・銅勘定所・手習場・役宅・馬場などが現存している。

復元された陣屋三日月陣屋 長屋門(復元)

水原代官所(新潟県阿賀野市) - 天領の代官陣屋。平面図を元に復元された。

佐渡奉行所(新潟県佐渡市) - 慶長8年(1603年)、徳川幕府の天領であった佐渡島を管理するため、相川に建てられた奉行所。相川陣屋とも呼ばれた。

飯島陣屋長野県飯島町) - 天領の代官陣屋。古文書や発掘調査を元に本陣が復元された。歴史民俗資料館となっている。

山田奉行所三重県伊勢市御薗町) - 伊勢神宮の守護・造営修理と祭礼、遷宮、門前町の支配、伊勢・志摩における訴訟、鳥羽港の警備・船舶点検などを担当した江戸幕府奉行所

三日月陣屋兵庫県佐用町) - 播磨国佐用郡 藩庁の長屋門と橋が復元された。付属する物見櫓は現存建物。

遺構が一部残る陣屋


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:152 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef