中華民国 陝西省
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陝西省(せんせい-しょう)は中華民国に存在した省。 東は山西省、湖北省及び河南省、西は甘粛省、南は四川省、北は綏寧省と接していた。 1911年(宣統3年)10月10日、武昌起義により辛亥革命が勃発すると10月22日、陝西新軍もこれに呼応し決起、同月25日に秦隴復漢総司令部を組織、長官を大総統とし、下部に軍令、兵馬、軍務等の都督が設置された。11月26日、陝西軍政府が成立、大総統は都督と改称されている。 1912年(民国元年)7月、省行政の民政部門の長官として民政長を設置、1914年(民国3年)5月23日には民政長を巡按使と改称、更に1916年(民国5年)7月6日に省長と改称されている。 1927年(民国16年)6月、国民党鄭州会議により陝西省政府の設置を決定、武漢国民政府に、4月21日の上海クーデター移行は南京国民政府に帰属している。1949年(民国38年)5月20日、中国人民解放軍により西安が「解放」され中華民国は実効支配権を喪失した。 1943年(民国32年)2月以前は長安県に、それ以降は西安市に設置された。 中華民国が建国されると清代の各道は廃止されたが、1913年(民国2年)3月、清代の旧道地区に陝中道、陝東道、陝南道、陝西道、陝北道の5道が設置されたが、まもなく陝西中道、陝西南道、陝西北道に改編され、観察使が任命されている。1916年(民国5年)5月、省内は関中道、漢中道、楡林道の3道が設置された。 中華人民共和国成立直前の管轄行政区画はの92県2設治局。(50音順)
管轄区域
行政沿革
省会
行政区画
道制
関中道
漢中道
楡林道
陝東道
陝西道
県級行政区画
県
安康県
安塞県
安定県
渭南県
永寿県
延安県:清代の膚施県、1937年改称。
延川県
延長県
横山県
華県
葭県
華陰県
韓城県
甘泉県
漢陽県
咸陽県
宜君県
岐山県
宜川県
陽県
乾県
?陽県
?県
興平県
?陽県
高陵県
黄陵県:清代の中部県。1944年6月改称。
呉堡県
柞水県:1913年2月に孝義県として成立。
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