阿部敦
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阿部篤史」とは別人です。

あべ あつし
阿部 敦
プロフィール
愛称あべし[1]、べし[1]
性別男性
出身地 日本栃木県足利市[2][3]
生年月日 (1981-03-25) 1981年3月25日(42歳)
血液型O型[4]
身長161 cm[1]
職業声優
事務所賢プロダクション[5]
公式サイト阿部 敦 賢プロダクション [Kenproduction] 声優事務所・タレント事務所・声優プロダクション

声優活動
活動期間2006年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替え
デビュー作アレックス(『コヨーテ ラグタイムショー』)[6][7][8]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

阿部 敦(あべ あつし、1981年[9]3月25日[3] - )は、日本男性声優賢プロダクション所属[5]栃木県足利市[2][3]出身。
来歴
生い立ち

昔は両親が共働きだったため、祖母に面倒を見てもらっており、すごいおばあちゃん子だったという[10]

母、祖母の話によると、子供の頃はよく走る活発な子供だったという[11]

物心ついてからアニメ、漫画、ゲーム、映画が好きになったが、元々芝居が好きであり、小学生の頃は学芸会が好きだった[11][12]

小学5、6年生でテレビで声優の特集をしていた番組を観て、職業としての「声優」を知って、アニメ、映画も好きだったことから「声優が天職だろう」と思ったという[2][13]。その時に憧れを持ち、「声優になれたらいいなあ」ぐらいの気持ちで初めて意識した[10][12]。その頃、好きだったアニメはアニメ映画『天空の城ラピュタ[2]

両親は厳しく、アニメ、ゲームが好きではなかったという[2]。中学時代も夜7時以降にテレビを観てはいけなかったという[2][13]。朝もアニメを観ていると怒られ、「アニメを観るくらいならニュースを観なさい」、「漫画を読むくらいなら新聞を読みなさい」と言われたが、それに反発していたという[2]

阿部家は父が野球で甲子園に出場しており、従姉妹が水泳でインターハイに出たりする体育会系であり、阿部は阿部家の中ではイレギュラーな存在だったという[11]。中学時代は親から「運動部に入れ」と言われ、テニス部に所属していた[11]。1年で退部したが、県大会に出場した経験も持つ[11]

声優の真似事ができず、「とにかくお芝居をしよう」と思い、白?大学足利高等学校[14]時代から演劇部に所属[7][10][15]。当時の役柄は三枚目が多かった[16]。部活動で観に来ていたOB・OGの人物と縁が出来て高校2年生の頃にアマチュアの社会人劇団の舞台に出演していた[11]。演出として来ていた高校時代の演劇部のOGに紹介してもらい、半年後、地元の社会人劇団に所属[10][12][16][15]

高校卒業後は親の勧めもあり、4年制大学の経済学部へ進学[7][10]。大学進学後も、毎日演劇に関わっていたという[12]。この社会人劇団には地元を離れるまで所属しており、客演を頼まれて出演したり、住んでいた地域を越えて幅広く活動していた[12]

大学3、4年生になり、周囲は就職活動を始めていたが、阿部は全然しておらず、芝居の関係の活動ばかりしており、就職するというのがよくわからなかったという[12]。感覚的にも違和感があり、「なんで自分の好きでない仕事をしなくてはいけないんだろう」という考えだったことから、「好きなことをしてお金をもらえてごはんが食べられたらいいのになあ」と思っていたという[12]。「僕もそろそろ何かしら動きはじめないとな…」と思い、真剣に一日考えていたという[10]。その時、考えたのは今後の自分の姿であり、やりたいことを自由にやれるタイミングというのは、今が最後なような気が気がして、「やっぱりやりたいことをやろう!」とその一日で声優の道へ進むことを決めたという[10]

前述の通り、家庭はアニメ、漫画、ゲームといった文化に否定的だったこともあり、当初は両親は「そんな適当な考えでなれるわけがない」と猛反対していた[17]。長男だったこともあり、「何の保証もない世界で、生活はどうするんだ」、「頑張ったって声優になれる保証はないだろ?」、「どういう風に食っていくんだ?」などと責められ、「なりたいんだ、ごめん」としか言えなかったが、最後は両親が折れて援助してくれたという[10][18]白?大学[14]卒業後、「声優を目指すなら今が最後のチャンスだ」と考え、アルバイトをしながら東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)に通った[7][17]

その後、同アカデミーで行われたマウスプロモーション81プロデュース賢プロダクションによる三社合オーディションで声優養成所のスクールデュオに合格[17]。そこに後の賢プロダクションの代表取締役の内海賢太郎が面接官として来ていたという[19]。同養成所に6期生として2年通う[10][20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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