阿藤快
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あとう かい
阿藤 快
本名阿藤 公一(あとう こういち)
別名義阿藤 海
生年月日 (1946-11-14)
1946年11月14日
没年月日 (2015-11-14) 2015年11月14日(69歳没)
出生地 日本神奈川県小田原市
死没地 日本東京都[1]新宿区
身長183 cm
血液型A型
ジャンル俳優
タレント
活動期間1969年 - 2015年
活動内容映画
舞台
テレビドラマ
配偶者あり(離婚歴あり)
主な作品
テレビドラマ
教師びんびん物語』シリーズバラエティー番組など
ぶらり途中下車の旅
遠くへ行きたい
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阿藤 快(あとう かい、[2][1]1946年昭和21年〉11月14日[2] - 2015年平成27年〉11月14日[1][3])は、日本俳優タレントである。神奈川県[2]小田原市出身。東京都立大学[2]法学部法律学科(二部)卒業。劇団俳優座[2]舞プロモーション[2]を経て、 ボニート合同会社 (Bonito LLC)に所属していた。血液型A型。本名は阿藤公一。

旧芸名は阿藤 海(読み同じ)[1][2]
来歴

中学時代は野球に熱中。神奈川県立西湘高等学校に入学するが、高校に野球部がなかったため2年時に退学[注 1]。その後、野球部名門校の編入試験を受験するも不合格になり、西湘高校へ復学。卒業後は、東京都立大学法学部法律学科(二部)に合格し、入学。

学生時代は弁護士を志し司法試験の勉強に勤しむが、2年時にドイツ語の単位が足りず断念。

大学卒業後、劇団俳優座の舞台部に加入。後に原田芳雄の薫陶を受けたことと中村敦夫の誘いをきっかけに役者を目指すようになった。原田が出演した映画・ドラマに起用されることが多く、原田を兄事してその交流は原田逝去まで続いた。他にも高倉健と共演する機会も多かった。

その後、原田、中村、市原悦子地井武男ら、いわゆる俳優座造反組と呼ばれるグループと退座。約10年余は悪役や端役として俳優活動を続けていた。1988年、『教師びんびん物語』に主人公・徳川龍之介(演:田原俊彦)の上司である教頭・御前崎マキオ役でレギュラー出演し、お茶の間の人気を獲得[1]

ドラマ出演等の俳優活動に加え、グルメ番組でのリポーター役・旅番組での案内役を担当。特に「なんだかなー」の名ゼリフは頻繁にモノマネに起用されるなど、有名である(ちなみに 「なんだかなー」は、険悪な現場を和ませるために言うようになったもので、料理がまずい際に言う言葉ではない)。コージー冨田がモノマネで笑わせるのは誤解だ、とも本人は語っていた。一方でコージー自身のモノマネに対しては「そっくりだった!」と大絶賛しており、モノマネをさせることには寛容だった。

上記のような気さくで謙虚な人柄から「芸能界で最もいい人」や「裏表のない芸能人」として名前が挙がることもある(実際、タモリらからも「芸能界一イイ人」と評されていた[4])。

食べ物でむせにくい芸能人としても重宝され、彦摩呂らグルメリポーター界からも一目置かれていた。

2001年11月14日に芸名を阿藤海から阿藤快へ改名[1]

2002年、出身地である小田原市の小田原ふるさと大使に就任[5]。その縁で北條五代祭りでは北条早雲に扮してパレードに参加している。また小田原市が主催する小田原映画祭の実行委員を第1回(2005年)より務めており、第2回(2007年)から実行委員長も務めていた。

2015年11月15日、仕事先に姿を見せなかったため、午後2時頃に所属事務所スタッフと家族が自宅を訪ねたところ、ベッドに横たわって亡くなっているのが発見された。発見時より病死とみられ[3][6]、その後、胸部大動脈瘤破裂が正式な死因とされた。69歳没。奇しくも69歳の誕生日を迎えた日に亡くなった[7][8]

ゲスト出演した『総合診療医ドクターG』第7回「腹がひどく痛む」(NHK総合)は2015年12月3日に予定通り放送され、収録日(2015年9月20日)を示すテロップが番組冒頭と途中に、阿藤へ哀悼の意を示すテロップが番組最後にそれぞれ画面上部に表示され、生前の元気な姿が放送された。偶然にもこの回の放送では阿藤の死因となった大動脈瘤破裂も取り上げられていた。
人物

座右の銘は「一日一生」。

長年煙草を1日に平均2箱から4箱吸っていたが、2014年に禁煙。

競馬研究を熱心にする競馬ファンであり、それが高じて競馬の関連書籍も執筆している。関西テレビのバラエティー番組『たかじん胸いっぱい』にゲスト出演した際、同局のアナウンサー馬場鉄志に数々のGIレースの実況を再現してもらい、感激していた。

学生時代は干物屋でアルバイトをしていた(後年、『静岡発そこ知り』でその店と主人を訪れた)。

雑誌の取材にてインタビューした姓名判断士の助言により、「海」より「快」に改名。女優の加藤あいと名前が似ている(アナグラム。より正確には「スプーナリズム」。「語音転換」の項参照)ことから、『タモリ倶楽部』で加藤の写真集『24人の加藤あい』に対抗した『24人の阿藤海』という企画が作られた際、この放送より阿藤「快」としての活動を開始した。

公式サイトを2004年にリニューアルした後、公式の競馬ブログ開設や、長年の経験を生かした旅とグルメのサイト「阿藤快、旅、一生…」を開設するなど、ネット上の活動も盛んに行った。なお、公式HPのBBSでは、本人によるレスが付けられることもあった。

テレビ番組や映画への出演のほか、『ぶらり途中下車の旅』の旅人役が特に有名。2008年1月28日放送の『ヤッターマン』(読売テレビ)にて、『ぶらり途中下車の旅』のナレーションを担当している滝口順平が演じるドクロベエから「おやおや阿藤さん、今日はどちらへ?…」というセリフが登場する。芸能人のゲスト出演が多い同作において、名前だけの出演を果たした例である。

下積み時代が長く『太陽にほえろ!』『西部警察』などの刑事ドラマや時代劇の悪役俳優として多くの出演がある。また、日活ロマンポルノにも幾度か出演しており、中でも『赫い髪の女』の演技は評価が高い。

名取裕子とは彼女のTVドラマデビュー作品で共演して以来、同じ神奈川県出身ということもあって兄妹のような付き合いを続けていた。阿藤は旅番組で訪れた各地の名産品を名取に贈り、名取からはそのお返しに毎年ユニークで変わった柄の浴衣を贈られていたという。

柳沢慎吾は小学校と中学校の後輩で、家族ぐるみでの交際があったといい、『真夏の刑事』で共演した[9]

実妹によると阿藤は幕末の志士として名高い坂本龍馬を敬愛しており、「俺も坂本龍馬のように死にたい」と生前によく語っていたことを明かしている[10]


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