阿木翁助
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1954年

阿木 翁助(あぎ おうすけ、1912年7月14日 - 2002年9月11日)は、日本劇作家脚本家。本名:安達鉄翁。息子は東宝プロデューサー。孫は笠井信輔(元フジテレビアナウンサー)。

脚本作品としては、1957年NHKのラジオドラマ「花くれないに」、1964年NET系のテレビドラマ「徳川家康」などが知られる。
経歴

長野県諏訪郡下諏訪町出身。旧制長野県立諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。1930年、小説家を志し上京[1]

1932年東京プロレタリア演劇研究所を卒業、築地小劇場演劇研究所の研究生となり、1934年にはムーラン・ルージュ新宿座文芸部、新派文芸部に入って劇作家としての道を歩み始め、「女中あい史」の脚本で名を挙げる[1]

1936年吉本興業新喜劇座文芸部へ[2]。のち、松竹新派劇団文芸部。

太平洋戦争に応召、復員後は、ラジオ、テレビの脚本を数多く手がけ、昭和の演劇、芸能史を彩った作品は千本を越える[1]

1958年日本テレビ芸能局長となり[2]、「作家局長」と呼ばれた[3]1963年に辞任[2]。1967年、日本テレビ常務取締役制作本部長となる[1]

1966年日本放送作家協会理事長、1990年会長に就任[1]共立女子大学の講師も務めた。
受賞歴

紫綬褒章(1977年)

勲四等旭日小綬章(1983年)

日本文芸大賞(1983年、「悪魔の侵略」)

主な作品
戯曲

「冬の星」

「長女」

「青い林檎」

ラジオ

「花のゆくえ」

「花くれないに」

テレビ

「徳川家康」(1964)

「悪魔の侵略」

映画

」(1983年、出演)

著書

新制中学・高等学校学校劇脚本集 蓼科書房 1948 (スクール文庫)

夜の河 宝文館 1954 (ラジオ・ドラマ新書)

花のゆくえ ラジオ東京連続放送劇 第1-2部 田園書房 1955

月遠けれど 東方社 1956

花ふたたび 桃源社 1956

花くれないに 第1部 洋洋社 1957-1958

愛の秘密 東方社 1958

青い葡萄 東方社 1959

この道六十五年 花茂の歴史 甲陽書房 1966

花に命あり 花茂三代 花茂本店編 甲陽書房 1972

色道つれづれ草 報知新聞社 1974

演劇の青春 築地小劇場、ムーラン・ルージュからの出発 早川書房 1977「青春は築地小劇場からはじまった」と改題、社会思想社現代教養文庫

しみる言葉 講談社 1982

忘れがたき言葉 講談社 1984

わが命の灯を 心筋梗塞と肺ガンを越えて 講談社 1990

脚注^ a b c d e 日外アソシエーツ「現代人物情報」より
^ a b c 朝日新聞人物データベースより
^ 読売人物データベース

関連項目

長野県出身の人物一覧










笠井信輔
主な出演番組

FNSの日

FNSスーパースペシャルテレビ夢列島平成教育テレビFNS27時間テレビ
男おばさん

男おばさん 燃えろ!デジタル部 - 男おばさん ワンツーネクスト

森田一義アワー 笑っていいとも! - オレたちひょうきん族 - おはよう!ナイスデイ - FNNスーパータイム - タイム3タモリのボキャブラ天国) - 今夜は好奇心! - タイムアングル - スターかくし芸大会!栄光の30年スペシャル - TVクルーズ となりのパパイヤ - 3時ヨこい! - めざましテレビ - THE WEEK - FNNニュース555 ザ・ヒューマン - 情報プレゼンター とくダネ! - フジアナスタジオ まる生 - 子育てれび - 愛と青春の宝塚 - とくダネ!発 GO-ガイ! - アナ☆ログ - 銀幕会議 - 映画の達人 - CHANGE - 探そう!ニッポン人の忘れもの - まるまるちびまる子ちゃん - スミレ刑事の花咲く事件簿 - バイキング


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