防空
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}対空戦 > 防空アベンジャーシステムによるターゲット・ドローンの撃墜

防空(ぼうくう、英語: Air defense)とは、攻撃してくる航空機ミサイルの破壊、ないしその効果の低減・無効化を目的とした防衛手段[1]アメリカ空軍では、対空戦における防勢作戦の一部と位置付けている[1][注 1]
国土防空

経空脅威の撃墜には、発見・捕捉・追尾・撃破の4段階のステップを踏むことになる[2]第一次世界大戦では要撃機をどのように管制してこれらのステップを効率的に遂行させるかについて試行錯誤が繰り返されたが、後期には、対空監視員の視覚・聴覚によって得た情報を電話によって管制所に集約し、作戦を立案したうえで無線機によって戦闘機に指示を伝えるという方式が登場し、航空警戒管制組織の萌芽となった[3]

戦間期には、目標の発見手法として聴音機が重視されていたが、1930年代頃より各国でレーダーの研究が進み、特にイギリスは早くから国土防空での活用を模索して、第二次世界大戦におけるバトル・オブ・ブリテンでその成果が生かされた[4]。大戦末期のジェット機の登場で対応の迅速化が急務となったほか、冷戦の始まりとともに核兵器の脅威が重大問題となり、より高性能な早期警戒レーダーの配備が進むとともに、アメリカ合衆国半自動式防空管制組織(SAGE)を端緒として、航空警戒管制組織の自動化・システム化が急がれた[5]。また戦闘機を補完する長射程の対空兵器として地対空ミサイル(SAM)が登場し、アメリカ陸軍1953年よりナイキ・エイジャックスを、また1959年にはアメリカ空軍ボマークを配備した[6]。なおSAMは野戦防空にも用いられることから、アメリカ空軍が独立する際にSAMの運用を陸・空軍のどちらが担当するかが問題となったが、議論の結果、野戦防空用のものは陸軍、地域防空用のものは空軍と両者で分担することになった[7]

航空自衛隊では領空の外側に防空識別圏(JADIZ)を設定し、1958年より戦闘機の警戒待機(アラート)を開始して、必要に応じてスクランブル(対領空侵犯措置)を行っている[8]。当初は陸上自衛隊の所属として導入計画が進んでいたナイキについても、航空警戒管制組織との連携が必要であることから、1962年の決定に基づいて空自に移管された[7]。その後、ナイキJを経て、1989年よりパトリオットミサイルの導入が開始された[9]。一方、基地の防空のためには、陸自に準じた短射程SAMや対空機関砲の配備も行われている[10]

SAGEの管制室

ジニーを発射するF-106


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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