防府駅
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防府駅*
駅舎(みなとぐち)
ほうふ
H?fu

富海 (7.2 km) (7.8 km) 大道

所在地山口県防府市戎町一丁目1-1.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度3分12.37秒 東経131度34分8.29秒 / 北緯34.0534361度 東経131.5689694度 / 34.0534361; 131.5689694座標: 北緯34度3分12.37秒 東経131度34分8.29秒 / 北緯34.0534361度 東経131.5689694度 / 34.0534361; 131.5689694
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線■山陽本線
キロ程441.4 km(神戸起点)
電報略号ホフ
ミタ(三田尻駅時代)
駅構造高架駅
ホーム1面2線
乗車人員
-統計年度-3,560人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日1898年明治31年)3月17日[1]
備考直営駅[2]
みどりの券売機プラス設置駅
* 1962年に三田尻駅から改称[3]
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駅舎(てんじんぐち)

防府駅(ほうふえき)は、山口県防府市戎町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線である。
歴史
年表

1898年明治31年)3月17日山陽鉄道徳山駅から延伸し、その終着駅の三田尻駅(みたじりえき)として開設[1]。同時に駅構内に三田尻機関庫が設置される。

1899年(明治32年)5月25日:国内で初めての食堂車連結の急行列車京都駅との間で運行開始。

1900年(明治33年)

4月8日:国内で初めての寝台列車神戸駅間で運行開始。

12月3日:山陽鉄道が厚狭駅まで延伸。途中駅となる。


1906年(明治39年)12月1日:山陽鉄道の国有化により官設鉄道の駅となる[1]

1909年(明治42年)10月12日線路名称制定。山陽本線の所属となる。

1914年大正3年):当駅と山口米屋町間で乗り合い自動車営業開始。

1919年(大正8年):防石鉄道が上和字駅まで開業。

1926年(大正15年):富海駅から当駅まで複線化。

1928年昭和3年)4月1日:三田尻機関庫閉庫、小郡駅(現新山口駅)小郡機関庫発足(現山口鉄道部車両管理室)移転。

1930年(昭和5年):当駅から大道駅まで複線化。

1931年(昭和6年)5月31日:省営バス(旧国鉄バス・現 JRバス )が全国で2番目の路線を山口との間に運行開始

1962年(昭和37年)11月1日:防府駅(ほうふえき)に改称[1]

1963年(昭和38年):コンクリート造2階建ての駅舎に改築。

1964年(昭和39年)7月1日:防石鉄道廃止。

1965年(昭和40年)9月24日みどりの窓口営業開始。

1975年(昭和50年):防府駅付近の高架化(連続立体交差)事業調査に着手[3]

1977年(昭和52年):高架給水塔撤去。

1981年(昭和56年):防府駅付近連続立体交差事業が都市計画決定[3]

1986年(昭和61年)11月1日:高架化工事準備につき貨物取扱業務を新設の防府貨物駅に移管し廃止[1]

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる[1]

1993年平成5年)10月29日:下り線が高架化され、改築した新駅で営業開始[4]

1994年(平成6年)5月23日:高架駅舎落成、上り線も新駅に移る[5]。(上りエスカレーター設置)

2008年(平成20年)11月:駅舎西側にアイスタ防府出店。

2009年(平成21年)

3月:エレベーター設置。

3月14日: ダイヤ改正により、この日停車した下り「はやぶさ・富士」をもって、当駅に停車する定期優等列車は全廃となった。


2022年令和4年)

4月13日:この日をもってみどりの窓口の営業を終了[6]

4月14日みどりの券売機プラス稼働開始[6]


2023年(令和5年)4月1日:ICカードICOCA」の利用が可能となる[7][8]

鉄道唱歌

1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した鉄道唱歌第2集(山陽・九州篇)25番の歌詞は、三田尻駅を題材にしている。

出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は 山陽線路のをはり(終わり)にて 馬關に延ばす汽車のみち

当時は馬関駅(現在の下関駅)開業前[9]で、三田尻駅が山陽鉄道の終点駅だった。この後鉄道唱歌では、徳山駅まで一旦戻って海路で門司へ行き、そこから九州鉄道線に入っていった。
駅構造構内(左側が1番のりば、右側が2番のりば)1991年下関方から高架工事中の駅構内(手前左側の上り線を一部残して防石鉄道のSLが保存されている)専用線の跡(2007年5月)

島式ホーム1面2線を有する高架駅である。分岐器絶対信号機を有さないため、停留所に分類される。駅構内にはみどりの券売機プラスが設置されている。2009年3月には改札口からホームへのエレベーターが設置された。南北2ヶ所ある駅出口にはそれぞれ愛称があり、北口は防府天満宮にちなんで「てんじんぐち」、南口は三田尻中関港にちなんで「みなとぐち」と名付けられている。

高架化以前は貨物設備も備えた2面4線(中線はホームなし)の地上駅であり、国鉄時代は防府保線区(後の徳山施設管理室)等の鉄道関連機関も設置され、当駅を始発・終着とする列車も運行されていた。


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