この項目では、人物について説明しています。阮咸が発明した同名の楽器については「阮咸 (楽器)」をご覧ください。
阮咸
阮 咸(げん かん、生没年不詳)は、竹林の七賢の一人。字は仲容。三国時代の魏および西晋の文人。陳留郡尉氏県の人。
また、伝説によりこの人が伝えたとされる4弦のリュート属撥弦楽器もその名を冠して「阮咸」と呼ばれる。 魏の武都太守阮熙
生涯
その年齢は王戎に比較してやや年長であり、竹林の七賢中で二番目に年少である。若くして叔父の阮籍と共に飲酒宴遊した。散騎侍郎に任じられたが、西晋の時代、山濤が阮咸を吏部郎に推挙した時、武帝(司馬炎)は、その虚浮の談を尊び、飲酒の度が過ぎることを理由に用いなかった。
阮咸は、その人となりが放誕で、礼法に拘らず、当時の儒士に誹謗された。明清楽で使われる阮咸
また、琵琶を善くし、音律に精通していた。そこから、阮咸が亀茲伝来の琵琶を改造した、という説が生まれ、後世にはまた、その琵琶を阮咸と呼んだ。略称は阮。
後に、荀勗に憎まれて、始平太守に出されたので、後人は彼を阮始平と称した。後に長寿によって没した。
伝記資料
『晋書』巻49「阮籍伝」
参考文献
那波利貞「秦漢子」(『芸文』9-12)
岸辺成雄「琵琶の淵源」(『考古雑誌』26-10)