.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}阪急阪神東宝グループ > 阪急阪神ホールディングス > 阪神電気鉄道
阪神電気鉄道株式会社
Hanshin Electric Railway Co.,Ltd.[1]
ロゴ(左)と社紋(右)
本社ビル(手前)
種類株式会社
市場情報東証1部 9043
阪神電気鉄道株式会社(はんしんでんきてつどう、英: Hanshin Electric Railway Co., Ltd.[1])は、大阪と神戸を結ぶ鉄道を運営している会社。通称は「阪神電鉄」「阪神電鉄KK」または「阪神電車」[注 1]、略称は「阪神」、キャッチコピーは「“たいせつ”がギュッと。 阪神電車」。阪急阪神ホールディングスの完全子会社であり、阪急阪神東宝グループの企業である。日本の大手私鉄の一つである。 本社所在地は大阪府大阪市福島区海老江一丁目1番24号。他に東京事務所が東京都千代田区有楽町一丁目5番2号 東宝ツインタワービル5階にある。 大阪 - 神戸間という大都市同士を結び、都市間電気鉄道(インターアーバン)としては日本で最も古く[注 2]、1905年に営業を開始している。2021年3月時点の鉄道事業の営業キロは48.9 km[4]である。 また、プロ野球球団「阪神タイガース」の親会社であり、阪神タイガースの本拠地である阪神甲子園球場は阪神本線甲子園駅前にある[6]。 2006年6月19日に村上ファンドによる買収問題を発端とする株式公開買い付け (TOB) が成立し、阪急電鉄を中核とする阪急ホールディングスの連結子会社 (64.76%) となった。同年10月1日には阪神電気鉄道株1株につき阪急ホールディングス株1.4株を割り当てる株式交換を実施し、阪急阪神ホールディングス(阪急ホールディングスから商号変更)の完全子会社となった(詳しくは「阪急・阪神経営統合」を参照)。 京都電気鉄道、名古屋電気鉄道、大師電気鉄道、小田原電気鉄道、豊州電気鉄道、江之島電気鉄道、宮川電気、東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道、大阪市営電気鉄道、横浜電気鉄道、土佐電気鉄道に続く日本で14番目の電鉄運営事業者であり、開業当初の線区が現在も存続するものとしては日本で4番目に古い(いずれも日本の普通鉄道では初めての電車運転(1904年)である甲武鉄道を除く)。大阪と神戸という大都市を結んで、日本における都市間電気鉄道(インターアーバン)の先駆けにもなった[注 2]。 電気を表徴する稲妻でレール断面を菱形に囲んだだけの、開業以来変わらぬシンプルな社紋に、その歴史が現れている(大手私鉄で円形をモチーフにした社紋を採用したことがないのは阪神のみである)。阪神の社紋 1896年(明治29年)、田中市兵衛、外山脩造、川上左七郎、前川槇造、大阪発起人総代により広瀬宰平、藤田伝三郎、豊田文三郎、岡橋治助らを加え発起人会が発足する。1899年(明治32年)6月に、社名を摂津電気鉄道株式会社として社長に外山脩造を迎えて設立。同年7月に阪神電気鉄道株式会社に改称した。 阪神は大阪 - 神戸間の並行線開業に反対する鉄道作業局が所管する私設鉄道法ではなく、内務省と鉄道作業局が共同で所管していた軌道条例に依拠し、さらに当時の内務省幹部であった古市公威から「線路のどこかが道路上にあればよかろう」との了解を得ることで、ほぼ全線を高速運転に有利な専用軌道にするという、法の抜け穴を突いた奇策によって1905年(明治38年)4月に神戸(三宮駅) - 大阪(出入橋駅)間の本線を開業した。従来の路面電車に比べ、軌道・車両ともに高規格の設備は、当時の阪神電鉄技師長であり建設時にもアメリカ視察を行った三崎省三の意向を反映したもので、建設ブームの真っ只中にあったアメリカのインターアーバンに範を採ったものであった。 1920年(大正9年)にメインの路線である本線に並行して、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)が神戸本線を開業させると、乗客獲得競争を繰り広げるようになった。それは、車内でハンカチを乗客に無料配布するといった身近なものから、他社の営業活動をお互いに妨害するという過激な事態にも及んだ(詳しくは「阪神急行電鉄」を参照)。阪神はこの頃から、大阪 - 神戸間の多頻度運転を進めることになり、「待たずに乗れる阪神電車」と言うキャッチフレーズがよく知られるようになった。2006年(平成18年)の経営統合後の阪急電鉄は兄弟会社であり、共存共栄・棲み分けがはかられている。 沿革は公式サイト
会社概要
歴史三崎省三は三吉電機工場で国産初の電車を手掛け、1899年に阪神電鉄に招かれて技師長となり、1917年より専務を務めた[7]
年表阪神電気鉄道第二発電所と車庫沿線の名所、左門殿川河岸と香櫨園遊園地(右上)今西林三郎(阪神電気鉄道第3代代表取締役、大阪商工会議所第9代会頭)
1893年(明治26年) 谷新太郎外4名は資本金30万円をもって神阪電気鉄道株式会社設立を発起(後に発起人に鹿島秀麿外4名追加)[8]。
1894年(明治27年) 小西新右衛門外19名を発起人に追加、社名を摂津電気鉄道株式会社と改称[8]。
1895年(明治28年) 藤田伝三郎、外山脩造外8名が資本金120万円をもって坂神電気鉄道株式会社設立を発起(後発起人に今西林三郎外8名を追加)[8]。
1896年(明治29年) 摂津電気鉄道、坂神電気鉄道、合併契約を締結[8]。
1899年(明治32年)
6月12日 摂津電気鉄道株式会社として設立(資本金150万円)。
7月7日 阪神電気鉄道株式会社に社名変更。
1902年(明治35年) 東京証券取引所・大阪証券取引所に株式上場。
1905年(明治38年)4月12日 本線 神戸(三宮駅) - 大阪(出入橋駅)間が開業。
1907年(明治40年) 香櫨園遊園地開設。
1908年(明治41年) 電力供給事業営業開始。詳細は関西私鉄の電力供給事業を参照。
1914年(大正3年)8月18日 北大阪線開業。
1924年(大正13年)
1月20日 伝法線(後の西大阪線、現在の阪神なんば線)開業。
8月1日 阪神甲子園球場開場。
1926年(大正15年)7月1日 甲子園線開業。
1928年(昭和3年)4月1日 阪神国道電軌を合併し、国道線とする。
1929年(昭和4年)4月14日 尼崎海岸線開業。
1933年(昭和8年)
3月 付帯事業として、旧梅田停留場に「阪神マート」を開業(阪神百貨店の前身)。
6月17日 岩屋駅 - 三宮駅(現在の神戸三宮駅)間の地下新線開業。