阪神百貨店
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}阪急阪神東宝グループ > エイチ・ツー・オー リテイリング > 阪急阪神百貨店 > 阪神百貨店.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932はしご高))が含まれています(詳細)。

株式会社阪神百貨店
The Hanshin Department Store, Ltd.本店が置かれている大阪梅田ツインタワーズ・サウス
エイチ・ツー・オーリテイリング及び阪急阪神百貨店の本社がオフィス部分に移転した。
種類株式会社
市場情報大証1部(廃止) 8241
1967年(昭和42年)10月30日 - 2005年(平成17年)9月27日
本社所在地 日本
530-0001
大阪府大阪市北区梅田1丁目13-13
設立1947年昭和22年)6月30日
業種小売業
事業内容百貨店業
代表者代表取締役社長 西川 秀郎
資本金43億5877万9876円(2006年(平成18年)3月31日現在)
売上高1126億4500万円(2006年(平成18年)3月期)
総資産488億7000万円(2006年(平成18年)9月30日現在)
従業員数1027人(2006年(平成18年)9月30日現在)
決算期3月31日
主要株主エイチ・ツー・オー リテイリング 100%[1]
主要子会社阪神商事株式会社
関係する人物河西計介(元社長)
三枝輝行(元社長、会長)
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
特記事項:1966年(昭和41年)12月に株式額面変更のため、同日以前の(2代目)株式会社阪神百貨店(1957年(昭和32年)4月17日設立)を吸収合併し現商号に変更。
2008年10月1日付で株式会社阪急百貨店と合併し、株式会社阪急阪神百貨店となり解散。
テンプレートを表示

阪神百貨店(はんしんひゃっかてん)は、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社(阪急阪神東宝グループ)傘下の株式会社阪急阪神百貨店が運営する日本の百貨店[2]

また、株式会社阪神百貨店(英語: The Hanshin Department Store, Ltd.)は、2008年9月30日までこれを運営していた企業である(法人としては解散)[3]2006年の「阪急・阪神経営統合」を契機として、もともとライバルであった阪急百貨店と経営統合を行い、阪急阪神百貨店による運営となった。
歴史・概要
ターミナルデパート設立への序章

1925年4月に阪神急行電鉄梅田停留場(現在の阪急大阪梅田駅)構内にあった(後の阪急百貨店うめだ本店へと繋がる)白木屋出張所を契約満了を理由に退去した白木屋の代替の店舗として1926年10月1日に当時の阪神電気鉄道梅田停留場(現在の阪神大阪梅田駅)構内に白木屋阪神出張店を開業[4]させたのが阪神によるターミナルデパート(=ターミナル駅直結の百貨店)の始まりである。

大正時代の終わり頃から大阪市高速電気軌道第1号線(現在のOsaka Metro御堂筋線)の新設計画に合わせて現在地付近への延伸と駅の移転を含む大阪市の構想への対応を求められていた阪神電気鉄道は、その延伸費用の回収のために1929年に大阪市に百貨店用地の分譲を求め[5]、そのテナントとして南海鉄道難波停車場に進出していた島屋[6]1930年にビルの賃貸の予約の覚書を交わし[5]、直営ではなくテナントの招致によるターミナルデパートの開設を当初は計画し[5]、その計画に基いて1931年12月には建物の設計まで終えた[6]

その後、1933年3月には阪神電気鉄道梅田停留場構内の店舗を直営の阪神マートを開業して直営によるターミナルデパート経営の第一歩に踏み出し[7]1937年1月22日に阪神電気鉄道の役員会で「阪神ビルの百貨店は資本金2百万円の株式会社阪神百貨店を新設し阪神傍系の別会社として経営する」と決定し、その日のうちに創立総会を開いて株式会社阪神百貨店を新設し、一般から公募せずに全株式を阪神電気鉄道が引き受ける完全子会社とすることで事実上直営化する方向へ方針転換をした[6]

そして同年3月に計画地のうち御堂筋沿いの角地を取得したが[6]、1月の百貨店新設の発表に猛反発した阪神急行電鉄が一日平均1.8万人の乗客で混雑する梅田駅の混雑緩和を目的に昭和初期から計画していた南側への新駅開設に必要だとして[6]、ビルの建設予定地の西半分に当たる約2,000坪を地主から密かに買収してしまった[6][8]ため、大阪市や中央政界・中央官庁などを巻き込んでその土地の取得を巡って阪神急行電鉄と激しい紛争を繰り広げることになったが、1938年5月19日に大阪市の決定で無事構想通りの用地取得に成功した[6]

しかし、この間に戦時体制の一環として鉄材の節約を理由に同年7月に百貨店などの高層建築の中止命令が出され[9]、百貨店法による許可も受けていなかった[9]ため構想の実現が不可能になり、1940年5月26日[10]に地上8階の予定が縮小されて地上4階地下2階として建設された梅田阪神ビルディング(後の大阪神ビルの東側部分)の地下1階に[11]阪神マートを移転させて規模を大幅に縮小して開業する[10]ことを余儀なくされた。中央が阪神百貨店 大阪駅ホームより
1955年(昭和30年)頃
拡張工事と百貨店の開業

第二次世界大戦後に再び構想の実現に取り組み、その一環として梅田阪神ビル(当時)北側地下道の両側に1951年に全国名菓名物街を開業し[5]、11月1日に売り場を1階まで拡張した際に屋号を阪神百貨店と改め[11]1952年には1階に京阪神の甘辛の一流店を集めて阪神甘辛のれん街を開設する[11]など、この頃から専門店を誘致した委託部門優先をしていた[11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:188 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef