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この項目では、2005年4月より「阪急電鉄株式会社」を名乗っている会社および、旧社から継承した阪急電鉄の各事業について説明しています。1973年4月から2005年3月まで「阪急電鉄株式会社」を名乗っていた会社については「阪急阪神ホールディングス」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}阪急阪神東宝グループ > 阪急阪神ホールディングス > 阪急電鉄
阪急電鉄株式会社
Hankyu Corporation[1]
本社(阪急電鉄本社ビル)
種類株式会社
略称阪急、阪急電車
本社所在地 日本
〒530-8389
大阪府大阪市北区芝田一丁目16番1号
本店所在地〒563-0056
大阪府池田市栄町1番1号(※1)
設立1989年(平成元年)12月7日(※2)
(株式会社アクトシステムズ)
業種陸運業
法人番号7120901021811
阪急電鉄株式会社(はんきゅうでんてつ、英: Hankyu Corporation[1])は、大阪の梅田を中心に、大阪と神戸・宝塚・京都などを結ぶ鉄道を経営する会社。阪急阪神ホールディングスの子会社で、阪急阪神東宝グループ(旧・阪急東宝グループ)の中核事業会社である。略称は阪急。他の関西の大手私鉄同様に阪急電車とも呼ばれる。日本の大手私鉄の一つである。
本社は大阪府大阪市北区芝田、登記上の本店所在地は大阪府池田市栄町1番1号(阪急宝塚本線池田駅の所在地)である。平均利用者数約177万人/日、営業キロは143.6 km(第二種鉄道事業区間含む)に及ぶ。また、兵庫県宝塚市を拠点に女性のみの団員で構成される劇団「宝塚歌劇団」を運営していることでも知られる(「その他の事業」の節も参照)。
三水会及びみどり会の会員企業であり三和グループに属している[4][5]。なお阪急阪神東宝グループのメンバーでみどり会の加盟企業は他に東宝・阪急阪神百貨店・阪急阪神ホテルズ・阪急阪神不動産があるが[5]、三水会の加盟企業は阪急電鉄のみである[4]。 阪急電鉄が運営している鉄道事業は、1907年(明治40年)に設立された箕面有馬電気軌道が、1910年(明治43年)3月10日に現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田駅(現在の大阪梅田駅) - 宝塚駅間、石橋駅(現在の石橋阪大前駅) - 箕面公園駅(現在の箕面駅)間を開業したのが始まりである。 北浜銀行の岩下清周や三井銀行出身の小林一三などが中心となって設立された。当時の箕面有馬電気軌道は阪神電気鉄道(大阪-神戸)など既に発展している都市間を結ぶ路線と異なり、郊外の田園地帯を走る路線であったため、乗客数は少なく経営基盤は貧弱であった。実質的な創業者である小林一三は鉄道需要を創出して経営を安定させるため沿線開発に力を入れた。当時、人口増加が著しかった大阪市は過密化や工場の公害によって住環境が悪化していた。そこで郊外の自然豊かな自社沿線に住宅地を新たに作り、その居住者を電車で都心へと運ぶアイディアを考案した。路線建設時にもともと地価の安かった沿線の土地を買い上げ、三井銀行出身だった小林一三は日本初の住宅ローンを活用した戸建て住宅地の分譲販売を行った[6]。また終点の宝塚周辺では大阪方面からの客を呼び込むために宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)、宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在の宝塚歌劇団)などのレジャー事業を行った。このように鉄道などの都市交通事業を中心に、不動産、小売、レジャーなどを多角的に展開した。小林一三は現在では当たり前にもなった鉄道会社が沿線開発を行って、自ら鉄道需要の創出を行うという私鉄ビジネスモデルの基礎を作り上げたという点で特筆される。 続いて阪神間の輸送に参入。1918年(大正7年)、社名を阪神急行電鉄に改称。後に正式社名にも採用され現在まで続く略称の「阪急」はこれに由来する。阪神間に参入したことで、以後既に阪神間を結ぶ阪神本線で都市間連絡電車を営業していた阪神電気鉄道とは競合関係となる一方で駅間隔などで棲み分けがなされ、協調関係ともなった。
沿革