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阪急・阪神経営統合(はんきゅう・はんしんけいえいとうごう)は、2006年、阪急電鉄などの阪急東宝グループの持株会社である阪急ホールディングス(阪急HD)が、阪神電気鉄道の株式を取得し、その経営権を取得したうえで阪神電気鉄道を完全子会社化し、自らは阪急阪神ホールディングスに商号変更する形式で行われた経営統合。この経営統合により阪急阪神東宝グループが発足した。 2005年8月頃まで450円前後で推移していた阪神電気鉄道の株式は9月頃から急激に上昇を始めた。同社においては、当時好調であった阪神タイガースの成績が上昇要因とみて特に対策を取っていなかった。しかしながら、9月27日の村上ファンドによる大量保有報告書により、阪神電気鉄道株式の26.67%、阪神百貨店株式の18.19%の保有が明らかになり、村上ファンドは阪神電気鉄道の筆頭株主であることが同社経営陣にも知られることとなった。その当時、株価は最高で1,200円を超えるまでに至った。 翌2006年5月10日には、村上ファンドの保有株式は46.82%まで増え、阪神電気鉄道に対して一定の発言権を有するに至ったことから、経営に関する様々な提案を行った。 阪神電気鉄道側は対抗策として、企業価値向上の取り組み発表、阪神甲子園球場のリニューアルや京阪電気鉄道との統合交渉(妥結には至らず)などを行ったが後手に回り、抜本的な解決策とはならなかった。その間も、村上ファンドから阪神タイガースを上場すべき等、各種の提案を受けた。 その後、阪神電気鉄道は2006年3月中旬に阪急HDとの経営統合を阪急HD側に提案、4月に基本合意が得られ、阪急HDは阪神電気鉄道株式のTOBを行うことを発表した。 村上ファンドは株主総会に向けた株主提案書を提出し、5月2日に開封された書簡で役員を派遣して経営に参入する意図があることが明らかとなった。しかしながら、TOBは予定どおり5月20日から6月19日までの1か月間行われた。 その間、村上ファンドの証券取引法違反の疑いにより村上世彰代表が取り調べを受けるに至り、村上ファンドがTOBに応じることとなった。その後、村上代表の逮捕、代表辞任もあり、村上ファンドは阪神電気鉄道買収を断念、保有していた同社株式をすべてTOBにより売却した。 こうして、阪急HDは阪神電気鉄道株式の64.76%を保有することになり、同社を連結子会社化することで経営統合へ大きく前進した。 2006年6月29日には、阪急HD・阪神電気鉄道それぞれにおいて株主総会が開催され、2006年10月1日付で阪急HDと阪神電気鉄道の株式交換を行うことが承認された。これにより、同日、阪急HDは阪神電気鉄道を完全子会社化して、経営統合を果たした。 また、阪急HDは商号(社名)変更して、阪急阪神ホールディングスとなった。阪急電鉄と阪神電気鉄道の経営統合は、戦後初の大手私鉄の再編である。 村上ファンドは、資産価値に比べて株価が割安と判断した会社の株式を大量に取得した上で経営陣に対して資産価値に見合う株価になるような施策を求め、株価が上昇した時点で売り抜けて利ざやを稼ぐという投資スタイルをとっていた。 ちょうど、西武鉄道の再建問題が起きていたこともあり、全国の鉄道会社の資産価値を調査した村上ファンドのファンドマネージャーである村上世彰は、鉄道会社の資産価値は低く評価され、株価が割安であることに気づき、鉄道会社の株式取得を考える。 阪神電気鉄道の株価は、村上ファンドが同社株式を取得するまでは概ね300円から350円程度の間で推移していた。 バブル期の1989年に上場来高値1,490円をつけたこともあったが、2003年の阪神タイガースフィーバー時でも450円程度が高値であり、また2005年の阪神タイガース優勝時でも400円程度にしか上昇しなかったように、阪神電気鉄道株は阪神タイガース絡み以外では大きなトピックもなく、またその当時でも阪神電気鉄道以上の経営規模を持つ阪急電鉄の株価の半値程度であったことから、株式市場・投資家からは『阪神電気鉄道の株価は適正水準』と見做されていた。だが、「阪神電気鉄道とは、実体は『鉄道事業も行う不動産会社』である」とコメントしている証券アナリストもいた。 村上ファンドは阪神電気鉄道の持つ資産内容に着目し、 特にこの3点に着目して、『その資産価値が株価に反映されておらず、株価は充分に上がるポテンシャルを持つ』と判断するに至り、2005年9月に阪神電気鉄道の株式取得を始めた。多くの株式を取得した事実を大量保有報告書の形で報告するまでに時間的余裕があることを活用して、その間に株式の取得を大幅に進め、対して阪神電気鉄道の経営陣が敵対的買収に全く無警戒で一切対策を取っていなかったこともあり、村上ファンドは最終的に過半数近くの同社株式を取得するに至る。 村上ファンドが阪神電気鉄道の株式取得にあたり、まず着目したのが償還(満期日)直前の同社CBであった。償還直前なので額面(100円)以上の価格で取得したとしても損失額は大きくなく、むしろ株式に転換して株価の上昇後に高値で売り抜けば利益を得られる、と判断したのである。 次に注目したのが、阪神百貨店株式(当時は大証1部上場)であった。阪神百貨店については、親会社の阪神電気鉄道が2005年10月1日付で完全子会社化して上場廃止にすること、また阪神百貨店株1に対し阪神電鉄株1.80を割り当てることが発表されていた。即ち、阪神百貨店株を同年9月までに取得すれば、その1.8倍の阪神電気鉄道株を取得できることを意味していたため、村上ファンドは併せて阪神百貨店の発行済み株式の18.19%を取得した。 大量保有報告書の公表で、村上ファンドが大量の阪神電気鉄道株を所有することが報道されるが、阪神タイガースに焦点を当てた報道が多くされたことや、村上世彰が阪神タイガース上場案を口にしたことで、阪神ファンをはじめとする野球ファンや関係者などの反発を買う。 村上ファンドとしては、京阪電気鉄道と阪神電気鉄道を統合させる思惑があり、阪神電気鉄道もかつて京阪電気鉄道との統合を検討したことがあったことから、同社との株式買取の交渉を行った。しかし、村上ファンドの希望する買い取り価格が高いため合意できず、暗礁に乗り上げる。 そこで、阪神電気鉄道経営陣は交渉先を阪急HDに変更して、村上ファンド保有の株式買取を要請する。阪急HDも梅田駅前に多くの資産を有する阪神電気鉄道は魅力的だったこともあり、ホワイトナイトとして名乗りを上げる。 阪急HDと村上ファンドの間にも買い取り価格に開きがあり、交渉は難航した。村上ファンドは、株主提案権を行使して取締役の過半数について選任案を提出するなど、経営権取得もちらつかせながら買い取り価格の引き上げを求めた。 一方、阪急HDと阪神電気鉄道も、村上ファンドと合意が無いまま、2006年5月29日にTOBとTOB成立を条件とした株式交換を行うと発表。 その後、2006年6月に東京地方検察庁による村上ファンドへの強制捜査が行われるに至り、株価下落による損失を避けたかった村上ファンドがTOBに応じる姿勢に転換した。 統合の形態としては、すでに阪急電鉄グループが持株会社制に移行したばかりであることから、共同の持株会社を新たに設立するのではなく、阪神電気鉄道が阪急HDの傘下に入り、阪急側の持株会社の商号を変更するという形をとった。 経営統合を行った2006年10月1日時点の資本関係は、次のとおりであった。
経緯
村上ファンド側の買収理由と世論
買収
西梅田・阪神甲子園球場など沿線に自社が保有する不動産が、実勢価格ではなく取得時の簿価で評価され、500億円にも達する大きな含み益を内包していたこと。
阪神タイガースという超優良コンテンツを保有していること。
当時建設中だった西大阪延伸線(現・阪神なんば線)を通じて、キタ(梅田)と神戸だけでなく、ミナミ(なんば)や奈良にもアクセスし、将来的に関西の広大な鉄道ネットワークを構成する。
報道
京阪との統合案
阪急への要請
統合後の態様
阪急阪神ホールディングス株式会社(持株会社) - 阪急ホールディングス株式会社から商号変更
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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