闘牛場
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マラガ市中心部にある闘牛場

闘牛場(とうぎゅうじょう、スペイン語: plaza de toros)は、闘牛が行われる競技場である。特にスペインに多く存在するが、フランスポルトガルなどスペインの近隣諸国、アメリカ州などの新大陸、日本などのアジアでも見られる。闘牛場は古代ローマ円形競技場に強い構造的類似性が見られ、その町の歴史的・文化的な中心地となっている場合が多い。
目次

1 構造

2 起源

3 代替用途

4 主要な闘牛場

4.1 スペイン

4.2 その他ヨーロッパ

4.3 新大陸

4.4 日本


5 脚注

6 参考文献

7 外部リンク

構造[ソースを編集]

古典的な闘牛場の内部は、開放的な中央空間の周りをほぼ円形のひな壇式観客席が囲んでいる。闘牛が行われる中央空間はアレーナ(arena[1]、砂場)あるいはルエードと呼ばれ、砕石(albero、アルベーロ)が高密度に敷き詰められている。中央のルエードの周囲には、闘牛士が準備を行ったり闘牛から逃れるための空間(カジェホン)がある。主に木製で高さ約140cmの分離壁(またはフェンス)によって、フェンスと観客席の間の空間とルエードが隔てられている。分離壁には闘牛の入退場のための扉(プエルタ・デ・ロス・トリーレス)、人間の入退場のための扉(プエルタ・デ・クアドリージャ)が付けられており、分離壁の形状、個数、位置などは闘牛場によって異なっている。一般的な闘牛場では、分離壁は避難空間を有しており、闘牛には狭すぎて入れない空間に闘牛士が逃げ込めるようになっているが、稀に闘牛が分離壁を飛び越え、通路に大混乱を引き起こす。緊急時にイベントスタッフが迅速に介入できるよう、分離壁にはあぶみ状の突起が付けられていることもある。通常の公演は午後に行われるが、太陽の位置によって座席の価格が異なっており、直射日光が当たるソル(太陽)席はソンブラ(日陰)席よりも安価である。
起源[ソースを編集]

闘牛場は専門競技場として発展した。古代ローマの多くの円形競技場は、今日の闘牛場に観ることができる特徴を持っていた。例えばニーム(フランス)の闘牛場は、一般的な広場より楕円形状であるが、古代ローマ時代に建設された。闘牛場の起源は古代ローマの特定の伝統に密接に関連している。イベリア半島のスポーツの形成期、これらローマ時代の建築物は闘牛のために使用されることはなかった。かつての闘牛は町の広場で行われる公開イベントだった。闘牛の観客は主として男性であり、観客を収容するための構造を必要としたが、群衆は観戦のために特別な座席を必要としなかった。これら初期の時代には、円形状は当たり前のことではなかった。

闘牛専門の競技場としてセビリアのラ・マエストランサ闘牛場の建設認可が下りたのは1730年である。当初は長方形のアリーナが計画されたが、闘牛士が窮地(四角)に追い込まれるのを避けるため、また観客が等距離で観戦できるようにするために円形に変更された。これらは古代ローマ時代に円形の競技場が作られたのと同じ理由である。1754年にはロンダに別の円形闘牛場が建設され、1782年に初の闘牛が行われた。19世紀から20世紀には闘牛場が変容し、目立つレンガ装飾が特徴のネオ・ムデハル様式が流行した。1990年代以降には新しい建築技術が導入され、全面屋根や開閉式屋根を備えた闘牛場が出現した。
代替用途[ソースを編集]

闘牛場の主目的は闘牛だが、闘牛が行われるのは祭礼が行われる年に数週間のみである。このため、ビルバオ闘牛場はミゲル・リオス(英語版)やジョーン・バエズなどのライブツアーの会場として使用されるなど、コンサート会場としても使用される。多くの屋内闘牛場、特にメキシコやラテンアメリカの闘牛場は、コンサートなどに加えて、バスケットボール、アイスホッケー、ボクシング、ルチャ・リブレなどの屋内スポーツにも使用される。

現代的なスポーツ施設が普及する前、バスク地方では持久走などの伝統的スポーツの競技場として使用された。これらの伝統的スポーツはギャンブルの要素を持っており、市民は走者の周回数を予想して賭けた。これらの伝統的スポーツに牛は絡んでいない。1936年、スペイン内戦中のバダホスの戦い(英語版)の際には、バダホス闘牛場は共和国政府支持者の強制収容所として使用され、バダホスの町を占拠した国民党軍によって数千人が収容された。
主要な闘牛場[ソースを編集]

世界でもっとも有名な闘牛場は、スペイン・マドリードにあるラス・ベンタス闘牛場である。スペイン・セビリアにあるラ・マエストランサ闘牛場(英語版)やメキシコにあるメヒコ闘牛場(英語版)なども権威ある闘牛場のひとつである。世界最古の闘牛場は、スペイン・サラマンカにあるベハル闘牛場だとされる。1667年の建設当初は四角形であり、現在の一般的な円形構造となったのは1711年である。
スペイン[ソースを編集]

名前所在地完成備考
ラス・ベンタス闘牛場マドリード1931年
ラ・マエストランサ闘牛場(es)セビリア1761年
ラス・アレーナス闘牛場(es)バルセロナカタルーニャ州では2010年に闘牛禁止法案が可決され、2012年1月に闘牛の興行が禁止された。2011年9月の興行が最後となり、ラス・アレーナス闘牛場はショッピングモールとなった。
アランフエス闘牛場(es)アランフエス1760年スペイン最古の闘牛場のひとつである。
アルバセーテ闘牛場(es)アルバセーテ1917年
ビルバオ闘牛場(es)ビルバオ1882年
ロス・カリーファス闘牛場(es)コルドバ1965年
エル・プエルト・デ・サンタ・マリーア闘牛場(es)エル・プエルト・デ・サンタ・マリーア1880年
グラナダ闘牛場(es)グラナダ1928年
ハエン闘牛場(es)ハエン1960年
ア・コルーニャ闘牛場(gl)ア・コルーニャ1991年


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