この項目では、暗闇について説明しています。『X-ファイル』のエピソードについては「闇 (X-ファイルのエピソード)」をご覧ください。
闇
闇(やみ)とは、光の無い状態のこと[1][2]。暗闇(くらやみ)とも、暗黒とも。 思慮分別が無いこと[2]、道徳的でない考え方や行いもこの語で指す。「心の闇」などという。違法な市は「闇市」、違法貸金業者は「闇金融」などと呼ぶ。 知識のなさ[2]を喩えるのにも用いられ、予測不可能な状態[2]を喩える場合にも使われる語彙である。後者は「一寸先は闇」のように用いる。 多くの文化・神話・宗教において、闇と光の対照は、自然的な対照を超え、時間の再生、死と再生の象徴と深い関係があり、重要なテーマを提起している[3]。 神話や宗教の多くで、闇と光を、死と生、悪と善の対立と見なす[3]。 闇と光の対照は、自然的な対照を超え、時間の再生、死と再生の象徴と深い関係があり、重要なテーマを提起している[3]。 光と闇が世界の重要な区分と関係づけられる文化・宗教もある。 東北アジアのコリャク ただし、全ての文化で死者の国が闇と結びつけられているかというとそういうわけでもなく、ポリネシアのソサイェティ島 世界の諸民族のほとんどの神話が光と闇の起源を扱っている[3]。 たとえばポリネシアの諸神話には、ポー
概説
神話・宗教
光と闇の世界
神話
ゾロアスター教において、善悪の神々の戦いでは、善霊の助けが現れるまでは全てが闇の中にあると描かれている(ヤスナ 46:4)[3]。光と闇は自然的な何かを意味しているのではなく、善と悪とに結び付けられている[3]。闇と結びつけられている破壊霊はアングラ・マイニュイと呼ばれた[3]。ただし、光も闇も主によって創造されたとされる(ヤスナ 44:5)[3]。ここから「主は悪も創造したのか?」という問題が浮上し、諸派の見解や解釈が分かれることになっており、一神教か二元論か、という神学上の問題にもつながる[3]。 『創世記』には以下のように記されている。はじめに神は天と地を創造された。地は混沌としており、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをうごいていた。神は言われた。「光あれ」。かくして光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。 ? 『創世記』第1章 1-5 ユダヤ人の正月儀礼は、暗黒の力ラハブに対する、光の主であるヤハウェの勝利を記念したものである[3]。 『ヨハネの黙示録』では、闇も夜も神の救済が届かない悪の支配領域とされている[4]。 キリスト教の文化においては、闇は悪魔やサタンと強く結び付けられている。その対となる光の場合は、天使やミカエルと強く結び付けられている。 絵画など視覚芸術(美術)の分野では、闇は表現に用いられている。 絵具などで暗闇を作り出す場合、それぞれの色が特定の光を吸収するように様々な色を混ぜ合わせて作成する[要出典]。理論上、3つの原色または3つの二次色(原色を組み合わせて作られた色)を混ぜることで、可視光をよく吸収する黒を作ることが可能である。このとき混合によって成立した色の透明性が高いと、「黒い」と言うよりも「暗い」色ができる。
旧約聖書
ユダヤ教
新約聖書
芸術キアロスクーロは闇を用いた表現の代表例である
視覚芸術
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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