閼英夫人
各種表記
ハングル:????
漢字:閼英夫人
日本語読み:あつえいふじん
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閼英夫人(あつえいふじん、????)は、中国から辰韓に移住した中国帝室の娘・娑蘇夫人の子である[1][2][3][4][5][6][7]。閼英夫人は、新羅の初代王・赫居世居西干の王妃であるが、赫居世居西干も娑蘇夫人の子である[7]。『三国遺事』によると、閼英夫人は井戸の傍に現れた龍の左脇(『三国史記』では右脇)より生まれたと記録されているが、一然によると、龍とは娑蘇夫人である[8]。 朝鮮正史『三国史記』を著した金富軾が中国宋に使臣として赴いた時、祐神館に参拝すると女仙の像が安置してあり、宋の翰林学士が「これは貴国の神だがご存知か」と言い、「昔中国の帝室の娘が辰韓に辿り着き、子を生んで海東の始祖となった。娘は地仙となり長らく仙桃山にいた。これがその像だ」と説明した[9]。正史における辰韓、海東の始祖、つまり新羅(の前身)ということは、海東の始祖とは赫居世居西干である[9]。 慶州国立公園内に「聖母祠遺墟碑」という遺跡があり、「娑蘇が辰韓に来て赫居世居西干と閼英を生み、東国初の王となった」と記録されている[10]。 『三国遺事』巻五・感通第七条には以下の記述がある[11]。其始到辰韓也。生聖子為東國始君。蓋赫居閼英二聖之所自也。故稱?龍?林白馬等。?屬西故也。嘗使諸天仙織羅。緋染作朝衣。贈其夫。國人因此始知神驗。
概要
史書における娑蘇
(娑蘇は)はじめ辰韓にきて、聖子を生み、東国の最初の王となった。たぶん、赫居世と閼英の二聖を生んだことであろう。それで鶏竜・鶏林・白馬(など)の称があるが、(これは)鶏が西がわ(西方)に属するからである。あるとき(娑蘇が)諸天の仙女たちに、羅うすものを織らせ、緋色に染めて朝服を作り、彼女の夫に贈った。国の人がこのことによってはじめてその神験を知った。 ? 三国遺事、巻五、感通第七条.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。三國遺事/卷第五#仙桃聖母隨喜佛事
家系
母:娑蘇夫人
夫:赫居世居西干
子:南解次次雄
系図 (1995年8月18日). “高句麗 開國神話? 英雄傳承的 ??”