発音記号
標準中国語
漢語?音M?n Y?
ウェード式Min3 Yu3
?南語
?南語白話字Ban gu
?東語
福州語ローマ字Ming ng??
?語
話される地域東アジア( 中国、 中華民国(台湾))
東南アジア( シンガポール
マレーシア
タイ)
北アメリカ( アメリカ合衆国)
言語系統シナ・チベット語族
シナ語派
中国語
?語
下位言語沿海?語(中国語版):
?東語
?仙語
?南語
瓊雷語(海南語・雷州語)
?語(びんご)は、中国語の七大方言の一つであり、シナ・チベット語族、シナ語派の言語の一つあるいは一群である。中華人民共和国の福建省、広東省東部及び西南部、海南省、浙江省南部、中華民国、シンガポール共和国、マレーシア、タイ及び各国の華僑・華人の一部の間で使用される。中でも福建省が主地域であるため、狭義の福建語は福州語を指します[1][2][3][4][5][6][7]。それに対して、広義の福建語は福建省各地の方言ことです。推定使用人口は7000万人程度である。?語の各方言の差異は大きく、しばしば会話に支障がでるため、別々の言語とすることもある。中国政府の北京語普及政策のもとで、広東語・上海語・モンゴル語・朝鮮語・ウイグル語などの言語と共に危機に瀕している[8]。 中国のシナ語派の諸言語は、国単位での分布があること、同系の共通語である普通話が存在すること、漢字という共通の正書法が存在することなどから、伝統的には中国語(漢語)という単一言語とし、各言語を十大方言もしくは七大方言として扱ってきた。 しかし、近年、タイ・カダイ語族、ミャオ・ヤオ諸語、オーストロアジア語族、オーストロネシア語族など近縁、近隣の言語集団との対照研究や考古学、人類学などとの学際的研究も進んだ結果、?語、粤語、呉語など、かつて方言とされたものが、口頭言語としては互いに通じないばかりでなく、その違いが基層言語の違いであることも判明し、ゲルマン語派内の相互の違いに匹敵することから、単一言語ではなく、複数言語の集合体と考えるのが、海外の学者の間では一般的になった(王育徳、橋本萬太郎、諏訪哲郎
系統
この中で、?語(広義の福建語)とその他の漢語諸語(中国語の方言)との隔たりは大きい。王育徳の研究 (1960) によれば、?南語アモイ方言の場合では、スワデッシュの基礎単語200語で比較した場合、北京語との類似性(同源語)は 48.9% に過ぎず、これはドイツ語と英語の 58.5% よりも少ない、つまり遠い。また、呉語蘇州話とでは 51.40% 、広東語とでは 55.31% 、比較的近い客家語とでも 58.65% しか類似性はない。中華人民共和国の言語学者の研究(ケ曉華、李如龍、倪大白など)でも、漢語が単一の言語ではなく、特に広義の福建語がその中でも特異な性質を持っていることが指摘されている。
また、広義の福建語はさらに主に5方言に分かれ、他に明確に分類できない2方言グループがある。これらは、たとえ語彙が同じでも発音の差が大きく、一般に相互に通じないとされる。このため別々の言語とすることもある。
?北語 - 建甌、松渓、政和、建陽、崇安など
?東語 - 福州、福清、古田、福安、蛮講など
?仙語 - ?田、仙游など
?南語 - 廈門、泉州、?州、竜岩、潮州、雷州、海豊、海口、台湾など
?中語 - 永安、三明、沙県など
大田土語、尤渓土語 - 大田、尤渓。上記5方言に囲まれた山間地域で、分類が困難。
??語 - 邵武、光沢、将楽、泰寧、建寧。江西省の?語との混合方言。さらに、順昌、明渓は、?、?、客家の三方言が混合した過渡的方言とされる。
?南語は、福建省以外でも話されており、広東省の東部沿岸で話される潮州語、広東省西南部の雷州語(海南語、潮州語と近い)、海南省で話される海南語、浙江省南部で話される浙南?語がある。
また、?東語に属し、浙江省南部で話される蛮講などがある。
逆に、福建省西部の長汀、上杭、連城、武平、永定、寧化、清流などでは、客家語が用いられており、南平には北方方言の方言島がある。 福建は早い時期に百越族の七?部落の地となった。春秋時代には越国に服属した。戦国時代後期には、越国が楚国に滅ぼされ、越国の王族は、逃げ延びた現在の福建省内で?越国を建立した。その地の原住民と融合し、古代?越語が形成された。これは現代のタイ・カダイ語族との間に一定の類縁関係があり、現代の?語の各言語内には古代?越語の語彙成分が保存されている。このことは言語学界の共通認識となっている。比較言語学的手法により、現代の?語の底層語彙にタイ・カダイ語族の語彙が含まれていることが判明している。例えば、??語(邵将語)の白読では、「人」(男性)を「?」(「sa??」または「?a??」)と言うが、これはチワン語で同じ意味の単語「sai」に類似している。武夷山には「拿口」「拿坑」という地名があるが、この「拿」(na)はタイ・カダイ語族では「田」の意味があり、チワン語の発音は「naz」となる。?語・客家語・?語(広東語)には「有音無字
歴史
紀元前110年、?越国が漢の武帝に滅ぼされると、?越族の人々は長江・淮河の一帯へと大量に移り住んで定住した。福建の地は空白地帯となり、漢王朝の軍駐屯地が置かれるのみとなった。この駐屯軍は主に広東の呉の人々と江西の楚の人々で構成されていたため、彼らの母語である古代呉語と古代楚語(古代湘語)が福建地方に持ち込まれ、?越語の要素と融合して最終的に原始?語が形成された。現代の?語の各分支の常用語彙に、古代呉語と古代楚語の成分が多かれ少なかれ保存されているのは、この歴史的経緯によるものである。
西晋の末年に永嘉の乱(311年)が発生し、災禍を逃れた中原の漢民族が福建の地へと大量に移り住んだ。この結果、晋安郡では人口が激増し、歴史上、「八姓入?」(漢族の代表的な八つの姓の人々が?へ移入した)と呼ばれる現象が進行した。この移民たちは中原漢語の音素を豊富に持ち込み、唐の時代には、科挙制度の影響から、切韻の音韻体系が福建にもたらされた。唐末の五代十国時代(907年-979年)になると、歴史上重要な中原人の移動の波が福建を襲った。