関西高等学校
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この項目では、岡山県の高等学校について説明しています。その他の関西高等学校については「関西高等学校 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

関西高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分9秒 東経133度53分49秒 / 北緯34.66917度 東経133.89694度 / 34.66917; 133.89694座標: 北緯34度40分9秒 東経133度53分49秒 / 北緯34.66917度 東経133.89694度 / 34.66917; 133.89694
過去の名称私立岡山薬学校
私立岡山医薬学予備校
私立高等学校医科予備門
私立関西尋常中学校
関西中学校
国公私立の別私立学校
設置者学校法人関西学園
校訓敢為の精神
質実剛健
天分発揮
設立年月日1887年明治20年)
創立記念日10月25日
創立者中川横太郎
共学・別学男子校
設置学科普通科
ITビジネス科
電気科
EIエンジニア科
学校コードD133310000014
高校コード33506B
所在地700-0056
岡山県岡山市北区西崎本町16番1号
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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関西高等学校(かんぜいこうとうがっこう)は、岡山県岡山市北区にある私立男子高等学校
概要

関西学園に属し、岡山中学校・高等学校とは姉妹校。全校生徒数は1300人超。

私立校であるが、過去に県立への移管要請を断ったことがある。また過去に近隣の女子高との合併話を断られたことがあり、近年は少子化による生徒の減少により全国的に男女別学の高校が共学化に転向する流れがあるが、関西高校は県下で唯一男子校を保ち続けている。

制服は男子校の伝統でもある一般的な金ボタン5個の黒学ラン(標準型学生服)で左襟には校章を形どった襟章、右襟には学年章をつけている。2018年よりデニム生地を採用したブレザーに[1]。食堂も設置。

スポーツ分野(野球体操、ボート、硬式テニス、少林寺拳法等)で全国的に有名。
校名

1894年、当時校長代理をしていた片平周三郎が東京で修行中、福沢諭吉関東での教育事業を展開していることに憧れ感銘を受け、自らも関西の地でそれを行いたいと決めたことに由来する。実際に片平が教育事業を行ったのは関西よりも西にある岡山の地であるが、「広く関西からも優秀な生徒を集めたい」として同校の校名とした。当時の読み方は「カンサイ」であった可能性がある。

読みについては、関西高校の戦後初めての甲子園出場である1948年夏、および1949年春のユニフォームには「KANSAI」と書かれ、一方で校歌は「カンゼイ」であり、そのことから、当時は「カンサイ」と「カンゼイ」の呼称が混同していた。しかし後になって創立ごろの読みとしては「カンゼイ」の方が正しかったのではないか、という声が挙がり、校歌にもならって1960年春の甲子園出場時より「カンゼイ」が正式な読みとなっている。但し、「カンサイ」を岡山弁風に発音すると「カンセー」になり、さらにそれが訛って「カンゼー」と呼んでいたことから、という説もある。
学科

2007年度からコース改編が行われている。2008年度も普通科と商業科でコース改編がある。2007年度入学生までは2年次以降も現在のコース編成である。

普通科(2008年度より国立進学コース・難関私大コース・大学進学コースの3コース)2年次にコース変更が可能である。ただし、大学進学コースから国立進学コースへの変更はできない。

国立進学コース(V類)

2007年度にそれまでの国公立進学コースにかわり新設され、特別進学コースから希望者で入学前の学力試験の結果が基準を満たす者を選出し、1クラスで編成されている。

2008年度からは単独募集となり、定員は35名となる。「国・数・英・理・社」の5教科入試を実施する。夏期休暇中は、** 勉強合宿(4泊5日)を実施し、土曜日にも授業を行う。

国立進学コースは担任2人制度 各学年の担任と3学年全の担任(国立進学コース担当)が付くなど手厚い体制。

2013年の定員は20名。 

偏差値50から
岡山大学現役合格が合言葉。

国立進学コースには他校にあるような特待生のような制度はない。


特別進学コース

難関私立・公立大学への進学を目指す。

2008年度のみ難関私大コースとして、有名私立大学(関関同立など)への進学を目指す。


大学進学コース

私立大学進学を前提としたクラス。学力はもちろん、部活動との両立を図り、部活動などの活躍も受験の成績の一部という教育方針をとっている。

ITビジネス科(2019年度入学生よりビジネスコース・アドバンスコースの2コース)商業科の名前からITビジネス科に名前を変更し、授業内容も従来の簿記などを中心とした商業科目に加え、プログラミングやドローン ネットを使った広報などといったIT要素とビジネス要素を掛け合わせた授業を行っている。

アスリートコース(1年次に編成) … 強化指定部への所属が必須で、部活動時間を確保するために特別なカリキュラムが用意されている。サイト制作やプログラミングに関する授業があり、簿記等のビジネス知識も修得でき、部活動の日程次第で検定への挑戦も可能。

ビジネスコース(2年次に編成) … ビジネス基礎や簿記等の商業系資格取得などに積極的な教育方針をとっている。

アドバンスコース … 県内商業男子の中で、大学進学者数・進学率ともにナンバー1の実績を誇り、全国の大学の商学系学部・学科に進学している。

電気科・EIエンジニア科(電気コース(Eシステムコース)・情報コース(ICTクリエイターコース))2年次にコース選択がある。どちらのコースも電気工事士(1種・2種)、危険物取扱者(乙・丙)、工事担任者といった試験に力を入れており、特に電気コースでは電気工事士試験、情報コースでは工事担任者試験に力を入れている。

アスリートコース(1年次に編成) … 強化指定部への所属が必須で、部活動時間を確保するために特別なカリキュラムが用意されている。今後益々需要が高まるエンジニアとしてのモノづくりスキル修得と、部活動を両立させるコース。

電気コース(Eシステムコース) … 主任技術者、電気工事士などの資格が取得できるよう授業編成。国家資格の取得などを通して就職に有利な教育方針を採っている。また、このコースを卒業した場合、第2種電気工事士の筆記試験免除や第3種電気主任技術者の資格を実務経験を積み無試験で取得することが出来る。

情報コース(ICTクリエイターコース) … 授業や実習を通してCAD等がしっかり学べるコースで、大学進学に有利な授業をしているため、近年大学進学者が増加している。また、このコースを卒業した場合陸上特殊無線技士等の資格が申請で取得できる。

2023年度入学生から電気科をEIエンジニア科に変更することが発表されている[2]
沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[3]

1887年明治20年) - 修業年限1年半の薬剤師養成学校として、私立岡山薬学校(第1次)を中山下に設立。

1890年 - 第三高等中学校医学部(現在の岡山大学医学部)への薬学科設置に伴い、岡山薬学校(第1次)を廃止。在学生は同学科へ編入。かわって私立岡山医薬学予備校を設立。

1893年 - 野田屋町へ移転。

1894年7月 - 高等学校令の制定に伴い私立高等学校医科予備門と改称。9月、修業年限を3年とする。12月、私立関西尋常中学校と改め修業年限を5年制の中学校となる。

1899年 - 中学校令が改正され、同校も「尋常」の文字を取り去り、関西中学校となる。

1900年 - 現在地に移転。

1904年 - 関西教員養成所を設立(1912年に廃止)。

1906年 - 岡山薬学校(第2次)、および児島郡藤戸村天城に天城分校を設立。

1908年 - 天城分校、私立天城中学校として独立(現在の県立倉敷天城高校)。

1919年大正8年) - 同校を第二岡山中学校として県立に移管せよと要請があったが拒否する。

1921年 - 岡山薬学校(第2次)を廃止。

1947年 - 学校教育法の施行に伴い、新制中学校と新制高等学校を併設する[4]

1948年昭和23年) - 学制改革により高等学校となる。関西高等学校財団を設立。

1951年 - 学校法人関西学園を設立。

1952年 - 商業科を併設。

1953年 - 併設中学校の生徒募集を停止[4]

1962年 - 電気科を併設。

1982年 - 岡山市箕島に中高一貫教育をめざし、岡山中学校を開校。

1985年 - 岡山高等学校を開校。

野球部

関西の野球部は、当時の同校の英語教師安部磯雄から野球を教わった翌年1895年の創部。岡山県の高校では最古の野球部である。

2013年選抜高校野球出場により甲子園出場回数が春夏通算20回(春12回、夏8回)になり、岡山東商業倉敷工業を抜いて岡山県内単独トップの甲子園出場回数を誇り[5]、特に2005年から2007年にかけては県勢で初の5季連続甲子園出場を果たしている。


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