関西大学ラグビー部
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関西大学体育会ラグビー部正式名称関西大学体育会ラグビー部
クラブカラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  紺
[1]
愛称カイザース、関大、KU.
創設年1923年
本拠地大阪府吹田市
代表山本 英一(顧問)
桑原久佳 (副顧問/採用・強化担当 )
川端 泰三 (アドバイザー)
監督佐藤貴志
ヘッドコーチ園田晃将(コーチ)
山形大樹(FWコーチ)
稲山諒(チームマネージャー/BKコーチ)
上戸智史(アナリスト/BKコーチ)
所属リーグ関西大学ラグビーリーグ

ファースト
ジャージ

公式サイト
kandairugby.com
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関西大学体育会ラグビー部(かんさいだいがくたいいくかいラグビーぶ、Kansai University Rugby Football Team)は、大阪府吹田市にある関西大学ラグビー部。関西地区で3番目、全国でも9番目に古い歴史を持ち、全国大学ラグビーフットボール選手権大会に5度出場している。2023年に創部100周年を迎えた伝統校の1つ。
概要

1923年に創部され、関西では1910年創部の第三高等学校(京都大学の前身。京都帝国大学ラグビー部としては1922年創部となる。)、1911年創部の同志社大学に次いで3番目、国内では8番目[2] に古い伝統を持つ。

創立当初は同志社大学関西学院大学(高等部)との「3校リーグ戦」に参戦。1925年には第1回阪神専門学校リーグ戦(大阪外語、大阪高商、関西大学)に参加している。

1926年には、阪神ラグビーリーグで4戦全勝し、関西大学専門学校ラグビーリーグでも優勝を果たしている。第二次世界大戦の影響で1942年4月?1945年末まで休部となったが活動を再開し、1947年には予科大会関西予選で優勝し、全国大会へ出場を果たす。1950年にも、全国新制大学大会近畿地区で優勝し、全国大会出場を果たすなど、強豪校として関西のラグビーをけん引する存在だった。

1954年には全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会で初優勝を果した。

全国大学ラグビーフットボール選手権大会には第1回大会1964年1966年から3年連続出場。第1回大会と第3回大会では、法政大学と対戦し、第4回大会では、福岡工業大学と対戦し、第5回大会では、早稲田大学ラグビー蹴球部と対戦しいずれも初戦で敗れている。それからBリーグ降格を経験するなど、長きに渡って出場がなかったが、2015年にリーグ戦3勝4敗ながらAリーグ4位となり、47年ぶり5度目の全国大学ラグビーフットボール選手権大会出場を果たす。第52回大会では、中央大学(関東リーグ戦3位)、大会6連覇中の帝京大学(関東対抗戦1位)、法政大学(関東リーグ戦5位)と対戦している。
主な歴史

1923年 創部、3校リーグ戦(関西大学、同志社大学関西学院大学高等部)に参加

1925年 第1回阪神専門学校リーグ戦(大阪外語、大阪高商、関西大学)

1926年 阪神ラグビーリーグで全勝優勝、関西大学専門学校ラグビーリーグでも優勝

1942年?1945年 第二次世界大戦のため休部

1947年 予科大会関西予選で優勝、全国大会出場

1950年 全国新制大学大会近畿地区で優勝、全国大会出場

1954年 全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会に出場し、初優勝

1956年 関西Aリーグ参加後、初の最下位(6位)

1963年 同志社大学に初勝利、同志社大学と同率で初優勝

1964年 第1回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校4校)に関西2位として出場、初戦敗退

1966年 第3回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校8校)に関西2位として出場、初戦敗退

1967年 第4回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校8校)に関西2位として出場、初戦敗退

1968年 第5回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(出場校8校)に関西2位として出場、初戦敗退

1975年 Aリーグ8位(2度目のリーグ最下位)となり、入替戦で大阪商業大学に敗戦。創部以来、初のBリーグ降格

1980年 6勝1敗でBリーグ優勝。関西学院大学に勝ちAリーグに昇格

1981年 関西Aリーグ8位、入替戦で近畿大学に敗れ、関西Bリーグに降格

1982年 日本体育大学出身の溝畑寛治が監督に就任

1990年 7勝1分の成績でBリーグ優勝

1996年 創部史上ワーストのBリーグ8位(1勝6敗)で終了。リーグ再編でBリーグ拡大(8チームから10チーム)のため入替戦は実施されず

1997年 AO入試がスタート、8勝1敗で7年ぶりに入替戦へ出場。立命館大学(A7位)と対戦し大敗。Bリーグ残留

2005年 28年間、指揮を執った溝畑寛治が退任し、OBの奥幹男が監督に就任

2008年 奥幹男が退任し、OBの森正樹が監督に就任

2009年 8勝1敗でBリーグ2位。12年ぶりに入替戦へ出場。大阪体育大学(A7位)と対戦し13-36で敗れ、Bリーグ残留。2年間、指揮を執った森正樹が退任

2010年 OBの桑原久佳が監督に就任。また、U-19日本代表コーチ、専修大学コーチなどを歴任した松村径がフルタイムコーチに就任。リーグ戦8勝1敗でBリーグ2位。同志社大学(A7位)と対戦し10-45で敗れ、Bリーグ残留

2012年 創部史上、Aリーグ、Bリーグを通じて、初となる全勝(8勝0敗)でBリーグ優勝。21年ぶりの単独でのリーグ制覇を果たす。入替戦はAリーグ8位の摂南大学と対戦し、32-17で勝ち、31年ぶりのAリーグ復帰を果たす

2013年 フルタイムコーチとしてチームを育成した松村径が退任。愛知工業大学OBでトップリーグ・福岡サニックスブルースでWTB、FBとしてプレーした園田晃将がヘッドコーチに、OB4名(森仁志、安本翔、山形大樹、森陽亮)がコーチに就任した。リーグ戦では、初戦の近畿大学に36-32で勝ち、32年ぶりのAリーグ白星を飾ったが、その後は6連敗となり7位。入替戦でB2位の摂南大学に敗れ、1シーズンでBリーグへ逆戻りとなった

2014年 宗像サニックスブルースでヘッドコーチを務めた森拓郎、クイーンズランド・レッズで分析コーチ務めたキース・デービス(Keith Davies)を招聘し、指導体制を強化。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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