関税および貿易に関する一般協定
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関税及び貿易に関する一般協定
スイスジュネーヴにある旧GATT本部。現在はWTO本部。
通称・略称GATT(ガット)、1947年のGATT(改正前)、1994年のGATT(改正後)[1]
署名1947年10月30日
署名場所ジュネーヴ[1]
発効1947年のGATTは、正式には発効せず1948年1月1日より暫定適用[1]。1994年のGATTは、WTO協定附属書1Aの一部として1995年1月1日発効。
締約国128カ国(1995年)
寄託者国際連合事務総長(第26条第3項)(1947年のGATT)
言語英語、フランス語(第26条第3項)
主な内容関税その他の貿易障害の軽減
国際通商における差別待遇の廃止
(前文より)
関連条約世界貿易機関を設立するマラケシュ協定(WTO協定)
条文リンク日本語訳(外務省
英語正文WTO
仏語正文(WTO)
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関税及び貿易に関する一般協定(かんぜいおよびぼうえきにかんするいっぱんきょうてい、英語: General Agreement on Tariffs and Trade、フランス語: Accord General sur les Tarifs Douaniers et le Commerce)は、1947年10月30日にジュネーヴにおいて署名開放された条約、またはこれに基づいて事実上国際組織として活動した締約国団を指す[1][2]。GATT(ガット)の略称で呼ばれる[1]
概要

1995年に、GATTの規定を事実上吸収したWTO協定が発効する時点で128カ国が締約国(Contracting Party)であったが[注釈 1][注釈 2]、正式には発効せず、暫定適用議定書(当初の加盟国について)及び加入議定書(発足の後の加盟国について)に基づいて適用され続けた[1]

この、1947年に署名開放されたGATTを改正した1994年の関税及び貿易に関する一般協定は、WTO協定と不可分の一部とされているが(WTO協定第2条第2項)、1947年のGATTと、WTO協定や1994年のGATTとは、別個の条約である(WTO協定第2条第4項)[1]

改正前のGATTのことを「1947年のGATT」、改正後のGATTのことを「1994年のGATT」と言い、区別される[1]
沿革
経緯

GATT締約国数の推移[注釈 1][3]
年代締約国数
1948-1949  19
1950-1959  36
1960-1969  75
1970-1979  84
1980-1989  95
1990-1994  128
WTO加盟国(2024年現在)  164

今日のWTO体制は、アメリカ合衆国が1934年に制定した互恵通商協定法に基づき、諸外国と二国間通商協定を締結していったことに歴史的起源をもつ[4]。アメリカは協定の締結に基づき交渉によって相手国と互いに関税を引き下げ合い、協定の無条件最恵国待遇条項によって通商の自由化を推し進めたのである[4]

第二次世界大戦後の1948年3月24日、1930年代世界恐慌ブロック経済が諸国の経済的対立を激化させ、これが第二次世界大戦発生の一因にもなったとの反省から、1944年のブレトン・ウッズ会議で設立された国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(IBRD、世界銀行)と並ぶ戦後の国際経済組織の支柱として、国際貿易機関(ITO)を設立するための国際貿易機関憲章(通称ハバナ憲章)が採択され、53カ国が署名した[5][6]

本来GATTはハバナ憲章に従属するものとして作成されたものであり、1947年10月30日に、スイスジュネーヴにて採択された[1]。ハバナ憲章の一部は後にGATTに取り入れられ実施されていくことになった[6]。しかしGATTは、効力発生の要件としてGATTを批准した国家貿易額が、GATT加盟国の貿易額の85パーセントを超えることを正式な発効要件としていたため[注釈 3]、この効力発生要件を満たす見込みがなかった[7]。またアメリカの互恵通商協定法が1948年に失効するなどといった事情から、アメリカ合衆国を含む多くの国々がハバナ憲章の批准を見送ったため、GATTだけを先に成立させる必要が生じた[1]

そのため、特にアメリカ合衆国議会の審議を受けることを避ける目的で「暫定適用議定書」を作成し、GATTを正式には発効させないまま1948年1月1日から「暫定適用議定書」に基づくGATTの暫定適用が始まった[1]。「暫定適用議定書」もまたGATTとは別個の法的拘束力を有する条約であり、GATTは同議定書を通じて実質的に各国に対する拘束力をもつものとなったが、この議定書には「現行の法令に反しない最大限度において」のみGATT第2部の規定が適用される(GATT第1部及び第3部についてはこのような限定はなく全面的に適用される)旨を定めた条項(通称「祖父条項」)が含まれていたほか[8]、このようにして成立したGATT体制においては各国は関税譲許率のみを約束するのみとされ[9]、またGATT第25条第5項には締約国団の承認により義務の免除を行うことができる規定[注釈 4]、いわゆるウェーバー条項と呼ばれる条項がおかれた[9][10]。これらに加えて各国のGATT規定上の義務違反も頻発し、大きな制約を受けることになったGATTの規律は極めて弱いものとならざるを得なかった[1][9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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