関町東
町丁
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}関町東関町東の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分27.65秒 東経139度35分4.65秒 / 北緯35.7243472度 東経139.5846250度 / 35.7243472; 139.5846250
国 日本
都道府県 東京都
特別区 練馬区
面積[1]
? 合計0.318 km2
人口(2017年(平成29年)12月1日現在)[2]
? 合計5,076人
? 密度16,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号177-0052[3]
市外局番03[4]
ナンバープレート練馬
関町東(せきまちひがし)は、東京都練馬区の町名。現行行政地名は関町東一丁目および二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号177-0052[3]。 練馬区の西部に位置する。東部は練馬区上石神井、南部は青梅街道を境に練馬区関町南、西部は練馬区関町北、北部は石神井川を境に練馬区石神井台とそれぞれ接している。主に住宅地として利用される。 2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。 丁目世帯数人口 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。 丁目番地小学校中学校 「関町」の由来については、次の二説がある。[6] 鉄道は、町域のほぼ中央を西武新宿線が東西に横断するが駅はなく、隣接する関町北にある武蔵関駅や、上石神井にある上石神井駅が最寄り駅の範囲にある。
地理
世帯数と人口
関町東一丁目1,968世帯3,648人
関町東二丁目872世帯1,428人
計2,840世帯5,076人
小・中学校の学区
関町東一丁目1番1?7号
1番27号(東側)
1番29?48号
2番
3番1?4号
3番13号(東端)
3番19?31号
4番1?13号練馬区立上石神井小学校
その他練馬区立石神井西小学校練馬区立石神井西中学校
関町東二丁目全域
歴史
地名の由来
室町時代後期、この地域を支配していた豊島氏が石神井城を居城としていた頃に、この地に関所を置いたことから。
現在の武蔵関公園内にある「富士見池」付近にかつて堰があったことから。
沿革
江戸時代は武蔵国豊島郡関村の小名本村に相当。[7]
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により関村は東京府北豊島郡石神井村大字関甲となり、関町東は字地蔵裏にほぼ相当する。[8]
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京府東京市板橋区石神井関町二丁目の一部となる。[8]
1947年(昭和22年)8月1日 - 板橋区から練馬区が分区したことに伴い、東京都練馬区石神井関町二丁目となる。
1949年(昭和24年) - 地番整理により東京都練馬区関町二丁目となる。[9]
1985年(昭和60年)6月1日 - 関町二丁目の大部分に(旧)上石神井一丁目を合わせた区域に住居表示が実施され、東京都練馬区関町東一・二丁目となる。[6]
交通
施設
日本カトリック神学院東京キャンパス
練馬区関保健相談所
ゆかりの人物
松本清張(作家) - 1957年から1961年にかけて一丁目1番地に居住[10]。関町東で『点と線』が完結し、また『ゼロの焦点』『砂の器』『黒い画集』などの作品が執筆された。
脚注[脚注の使い方]^ “ ⇒練馬区統計書 - 町丁別土地面積、気温、降水量の推移、住民基本台帳による世帯数と人口など”. 練馬区 (2016年10月1日). 2018年1月4日閲覧。
^ a b “ ⇒世帯と人口(人口統計) - 町丁目別”. 練馬区 (2017年12月5日). 2018年1月4日閲覧。
^ a b “ ⇒郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月4日閲覧。
^ “市外局番の一覧
^ “ ⇒区立小中学校 学区域一覧”. 練馬区 (2017年8月24日). 2018年1月4日閲覧。
^ a b 竹内誠編『東京の地名由来辞典』東京堂出版、2006年。ISBN 4490106858
^ 桑島新一 (1986年2月21日). “ ⇒関村(せきむら)、竹下新田(たけしたしんでん)”. 練馬の地名今むかし(旧地名の部). 練馬区. 2015年1月4日閲覧。
^ a b 東京市新區町名地番表
^ 桑島新一 (1985年7月21日). “ ⇒関町東(せきまちひがし)”. 練馬の地名今むかし(現町名の部). 練馬区. 2015年1月4日閲覧。
^ 当時の地番表示では上石神井一丁目682番地だが、住居表示実施に伴い、関町東一丁目と上石神井一丁目との境界線が東へ移動し、その結果、上石神井一丁目682番地は関町東一丁目に組み込まれた。