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関沢 新一
生年月日 (1920-06-02) 1920年6月2日
没年月日 (1992-11-19) 1992年11月19日(72歳没)
出生地 京都府
死没地東京都渋谷区南平台町
国籍 日本
職業脚本家、作詞家、鉄道写真家、監督、漫画家
ジャンルテレビドラマ、映画
活動期間1949年 - 1992年
配偶者関沢政子(妻)
関沢 新一(せきざわ しんいち[1][2]、(1920年〈大正9年〉[3]6月2日[出典 1] - 1992年〈平成4年〉[3]11月19日)は、日本の脚本家、作詞家、写真家。京都府[4][5]京都市出身[1]。 1939年、京都にて政岡憲三のもとでアニメ映画の制作に携わる[出典 2]。戦前の一時期、京都日日新聞に漫画を連載していたこともあった[7]。 1941年、召集を受け南方に従軍し、1946年復員[出典 3]。 1948年、蜂の巣プロに助監督として参加する傍ら、脚本家としても活動を始める[出典 4]。松竹映画『明日は日本晴れ』(1948年)で脚本家としてデビュー[6][注釈 1]。1956年の『空飛ぶ円盤恐怖の襲撃』では監督も務めた[出典 5]。 脚本家として東宝の娯楽映画を多数執筆[2][8]。『モスラ』『キングコング対ゴジラ』などの特撮もの、『暗黒街の対決』『独立愚連隊西へ』『国際秘密警察 火薬の樽』などのアクションもので、軽快なテンポと洒落た台詞回しを活かした作品を世に出した[9][6]。社長シリーズや岡本喜八監督作品でも知られる[5]。 東宝専属であったが、「長編マンガを書きたい」と会社側に熱望し[10]、東映動画で2本の脚本を執筆している[10][6]。本来は契約違反にあたるが、東宝文芸部で大っぴらに宣言したことで止めようがなかったという[10]。 ゴジラ映画の脚本執筆は『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』までであるが、その後もプロットを提供し、「東宝チャンピオンまつり」を支えた。 作詞家としても著名であり[4]、第7回日本レコード大賞(昭和40年)を受賞した美空ひばりの「柔」、ミリオンセラーを記録した都はるみの「涙の連絡船」など[3]、今なお歌い継がれているものも多い。コロムビア以外の会社では「良池まもる」のペンネームを使用することもあった。日本電波映画では脚本は『アゴン』のみだが、『ジャングルプリンス』の原作や『坊主拳法』や『姿三四郎』などの日本電波映画作品の主題歌の作詞も手がけており、前述の「柔」も同名ドラマの主題歌である。関沢新一は日本電波映画の社長 松本保常の自宅に居候した時期があった[11]。 「ウルトラシリーズ」などで知られる脚本家、金城哲夫や上原正三の師匠でもある[12]。 蒸気機関車のファンとしても知られ[4][5]、晩年は鉄道写真家としても活躍[6]。鉄道模型の愛好家でもあり、線路が自宅の中を一周するHOゲージの大型レイアウトを製作[注釈 2]、龍角散のCMでは本人とともに撮影されている。キネマ旬報社がSLブーム時に創刊した雑誌『蒸気機関車
人物・来歴
1992年11月19日午前10時に自宅で心筋梗塞のため死去。72歳没[14]。墓所は京都市東山区隆彦院。 テンポのよい掛け合いのような台詞回しが特徴で[出典 6]、「もともと関西出身ということもあり、漫才が根底になっている」と自ら述べている[15]。
作風