関根勤
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本名関根 勤
[注釈 1]
ニックネームラビー
別名義ラビット関根(旧芸名)
生年月日 (1953-08-21) 1953年8月21日(70歳)
国籍 日本
出身地 日本東京都港区
血液型A型
身長168 cm
言語日本語
方言標準語首都圏方言
最終学歴日本大学法学部
師匠萩本欽一(弟子入りはしていない)
出身ぎんざNOW!
コンビ名コサキン(正式なコンビではない)
相方小堺一機
芸風コントモノマネ
など
事務所浅井企画
活動時期1974年 -
同期明石家さんま
オール阪神・巨人
島田紳助
桂小枝
現在の代表番組ミライ☆モンスター
など
過去の代表番組カックラキン大放送!!
欽ちゃんのどこまでやるの!?
コサキンDEワァオ!
笑っていいとも!
さんまのSUPERからくりTV
ペットの王国 ワンだランド
他多数
配偶者既婚
親族関根麻里(長女)
K(麻里の夫)
公式サイト ⇒プロフィール
受賞歴


2002年:第21回ベスト・ファーザー イエローリボン賞芸能部門

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関根 勤
YouTube
チャンネル

関根勤チャンネル

活動期間2022年5月9日 -
ジャンル芸能
登録者数15.8万人
総再生回数33,774,384回
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2023

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-10-31-00002023年10月31日時点。
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関根 勤(せきね つとむ、1953年昭和28年〉8月21日[1] - )は、日本お笑いタレントコメディアン俳優歌手司会者。旧芸名はラビット関根。東京都港区出身[1]浅井企画所属。娘はタレント関根麻里

所属事務所の後輩で長年の親友でもある小堺一機とのコンビは、コサキンとして知られている。
来歴

4人兄弟の末っ子(兄2人に姉1人)として生まれる。父は東京消防庁勤務の消防士で、謹厳実直な家庭だったと回想している。「勤」の名前の由来は、関根が生まれた年(1953年)が父にとって勤続25年目の年に当たったことに由来する[2]。幼少時代は奔放かつ我が儘であり、父にはよく「勤、怒鳴るなよ」と窘められていた[3]

港区立高輪台小学校港区立高松中学校東京都立八潮高等学校を経て、日本大学法学部管理行政学科に入学(実家最寄りの明治学院大学法学部が第一志望だったが不合格)。大学ではお笑い好きの仲間4人[注釈 2]と「目黒五人衆」を結成し都内でライブ活動を行うが[4]、大学3年次の1974年の夏休みにグループは解散[5][6]。その後、同年出演したTBSぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で5週連続勝ち抜き、初代チャンピオンとなる。その時の審査員の一人だった浅井企画社長・浅井良二に見出され、芸能界デビューを果たす。コサキンビデオ『マントヒヒ』内での回想によれば、放送後に浅井社長と川岸副社長に呼び止められ、近くの喫茶店で詳細について話し合ったという。プロの芸人になるつもりはなかったことから回答を渋っていたが、それまで沈黙していた浅井が「君なら出来る! 君なら出来るよ! ウチはコント55号を育てたんだから。明日の朝10時に事務所に来なさい!太陽神戸銀行の横!」と一方的に捲し立てると、直ぐさま川岸を連れて帰ってしまった。呆気にとられたが、翌日に事務所を訪れると、そこには浅井が契約書を持って待ち構えていた[注釈 3][7]。当時まだ大学に在学中だったため、当初は卒業までの一年半だけ所属するつもりだった[5]

プロデビューに際して、TBSラジオヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送』の前説を務めていた縁で、パーソナリティ桂三枝(現:六代目桂文枝)1975年干支であるに因み「ラビット関根」という芸名を名付けた。この芸名は、売れなければ翌年はに因んだ「ドラゴン関根」に、さらに次の年はから「スネーク関根」に…と改名し、十二支すべて芸名にしても芽が出なければ芸人をあきらめろ、という洒落も込められていた[8]千葉真一ジャイアント馬場長嶋茂雄など、これまでやり手のいなかった人物のモノマネで次第に注目される[9]

日本テレビ系列の『カックラキン大放送!!』では、「バカバカしいと思うなよ。やってる本人、大真面目!」と歌いながら披露する「カマキリ拳法」[注釈 4][12]、「田村正和拳法」などのシュールかつ特異なネタを編み出した。さらにテレビ朝日系列の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に、事務所の後輩で親友でもある小堺一機と組んだ「コサキン」(当初は「コサラビ」)のコンビで出演し、「クロコとグレコ」で人気を博した。また1983年に、同番組で共演した事務所の先輩・萩本欽一の指示で、芸名を本名の関根勤に改めた[13]1985年にはフジテレビ系列森田一義アワー 笑っていいとも!』にレギュラー出演を開始し、全国区の知名度を得る。

同じく1985年から、小堺主演の舞台『小堺クンのおすましでSHOW』に出演。1989年には自らを座長とした舞台『カンコンキンシアター』を開始させ[注釈 5]、テレビ以外にも活動の幅を広げる。また、コサキンコンビでメインパーソナリティーを務めたTBSラジオの番組『コサキンDEワァオ!』は、1981年の放送開始以来放送時間や番組タイトルを変えながら、深夜番組としては驚異の27年半という記録を打ち立てた長寿番組となった(2009年3月をもって放送終了)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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