関東十八檀林(かんとうじゅうはちだんりん)とは、江戸時代初期に定められた関東における浄土宗の檀林[注釈 1]18ヶ寺をいう[1] 。
江戸時代初期、知恩院は浄土宗の有力な寺院のひとつではあったが、宗派内での地位は明確ではなかった。慶長2年に知恩院の尊照
が「関東檀林規約」五条を定め、本寺・末寺の制度が整備された。また元和元年7月24日には増上寺の存応の案による「浄土宗法度」三十五条が幕府によって発布され、門跡を知恩院、総録所[注釈 2]を増上寺とする教団体制が確立した[4]。18寺の檀林が公式に認められ、宗派の重要事は檀林の会議で決すること、僧侶の養成も檀林でのみ行うこととされた。関東十八檀林の寺院を列挙する[1] 。
武蔵国
増上寺(東京都港区)
伝通院(東京都文京区)
霊巌寺(東京都江東区)
霊山寺(東京都墨田区)
幡随院(東京都小金井市)[注釈 3]
蓮馨寺(埼玉県川越市)
勝願寺(埼玉県鴻巣市)
大善寺(東京都八王子市)
浄国寺(埼玉県さいたま市岩槻区)
相模国
光明寺(神奈川県鎌倉市)
下総国
弘経寺(茨城県結城市)
東漸寺(千葉県松戸市)
大巌寺(千葉県千葉市)
弘経寺(茨城県常総市)
上野国
大光院(群馬県太田市)
善導寺(群馬県館林市)
常陸国
常福寺(茨城県那珂市)
大念寺(茨城県稲敷市)
脚注
注釈^ 檀林とは僧侶の養成機関・学問所のこと。江戸時代にみられた。浄土宗のみならず他宗派でも独自に檀林を持っていた[1][2]。
^ 総録所では全国の浄土宗の宗務を管理した[3]。
^ 1939年に浅草神吉町(現東上野[5])より移転[6]。
出典^ a b c 『関東十八檀林
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