関東八屋形
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関東八屋形(かんとうはちやかた)は、室町時代関東地方において屋形号を称する事が許された有力な大名をいう。
概要

宇都宮氏、小田氏、小山氏、佐竹氏、千葉氏、長沼氏、那須氏、結城氏の八家を指す。いずれも旧来の名族であり、応永6年(1399年)、鎌倉公方足利満兼が就任するに際し、時の関東管領上杉朝宗の提案によって定められたとされる(『 足利治乱記』[1])。これら八家は鎌倉公方を支える家々としてそれぞれの国の守護を出す家柄[2]として定められ、守護でなくとも守護不入が認められるなど自家の領土内における強力な支配権を行使することが出来た。後には関東八屋形の支配権は鎌倉公方の介入も容易には許さないほどにもなった[3]

戦国時代に入ると小田原後北条氏が勢力を拡大させ、これらの諸氏による支配体制は崩壊することになった。各家の出自は以下の通り。
宇都宮氏
藤原北家道兼流藤原宗円あるいはその孫藤原朝綱を祖とする。下毛野氏あるいは中原氏の流れを汲むと言われる。
小田氏
宇都宮氏の傍流で、八田知家を祖とする。
小山氏
藤原北家魚名流藤原秀郷の後裔を称する。
佐竹氏
清和源氏義光流源昌義を祖とすると言われる。
千葉氏
桓武平氏良文流平常兼もしくはその子である常重が祖とされる。
長沼氏
小山氏の傍流で、小山政光の次男である宗政を祖とする。
那須氏
藤原北家長家流藤原資家を祖とする。
結城氏
小山氏の傍流で、小山政光の三男である朝光を祖とする。

なお、異説として長沼氏に代えて大掾氏桓武平氏国香流平維幹を祖とする)を入れる説がある。これは必ずしも長沼氏が誤りとする訳ではなく、15世紀中期の享徳の乱で鎌倉公方(古河公方)と敵対した長沼氏嫡流が断絶したと推定される[4]ため、長沼氏の闕を補うために大掾氏が加えられた可能性を示すと考えられている。
脚注[脚注の使い方]^ 『足利治乱記』は軍記物としてその信憑性が問題とされるが、長沼氏はこの頃一時的に下野国の本領を失って陸奥国長江荘を根拠としており、明徳2年(1391年)の陸奥国の鎌倉府移管以前には鎌倉公方の傘下には含まれていなかった。また小山氏は小山若犬丸の乱によって応永4年(1397年)に断絶した後に当時の鎌倉公方足利氏満(満兼の父)の命によって再興されているが、氏満は応永5年(1398年)には没している。一方、足利持氏(満兼の子)の代には上杉禅秀(朝宗の子)の対立(上杉禅秀の乱)をきっかけに鎌倉公方と八屋形の諸家の対立が見られるようになるため、関東八屋形の八家がいずれも存在し、かつ関係が安定していた鎌倉公方足利満兼の代に定められた制度であり、『足利治乱記』の内容は一定の事実を反映していると考えられている。尚、「結城系図」(東京大学史料編纂所架蔵謄写本(原本は松平基則所蔵)、『結城市史』に収録)の結城基光の付記には、「基光謁鎌倉基氏、称八家衆」(基光 鎌倉(の)基氏に謁し、八家衆と称す)という表現が見られ、この「八家衆」から、関東八屋形の構想が足利基氏の代には既にあったことが暗示されている。
^ 実際に関東八屋形成立時に守護に補任されていた家は下総の千葉氏・常陸の佐竹氏・下野の結城氏で、下野守護は時期によって小山氏や宇都宮氏が補任された例もある。
^ 応永16年(1411年)、鎌倉公方足利持氏は領国が陸奥会津地方と下野南部に分かれている長沼氏の不便を緩和するために中継地となる那須郡三依郷を領する宇都宮持綱に対して同郷を長沼義秀に譲るように懇願したが拒まれ、同郷の収公、長沼義秀への充行、宇都宮持綱の押領、と発展している(『皆川家文書』宇都宮弾正少弼宛足利持氏書状など)。なお、下野守護であった結城基光がこの件に関与した形跡はない。
^ 江田郁夫「十五世紀の下野長沼氏について」『栃木県文書館研究紀要』1号、栃木県文書館、1997年。 /改題所収:江田郁夫「第I編第五章 鎌倉府体制下の長沼氏」『室町幕府東国支配の研究』高志書院、2008年。 

参考文献

江田郁夫「第II編第三章 関東八屋形について」『室町幕府東国支配の研究』高志書院、2008年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}
ISBN 978-4-86215-050-9


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