関所(せきしょ)とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設である。単に関(せき)とも。 関所の機能には軍事的目的(防衛)、警察的目的(治安)、経済的目的(交通料徴収)がある[1]。 陸路(街道)上に設置された関所は「道路関」、海路に設置された関所は「海路関」とも呼ばれる。陸路では、峠や河岸に設置されることが多い。 春秋戦国時代には、秦の孝公により函谷関が建設された[2]。函谷関は「天下第一関」や「秦函谷関」とも称される、中国で最も古い関所である[2]。楚漢戦争において項羽軍により破却された(のちに復元)[2]。新安県の函谷関 漢代には武帝がシルクロードの拠点に玉門関や陽関を設置した。 飛鳥時代の646年(大化2年)、改新の詔に「関塞」(せきそこ)を置くことが記されており、これが日本における関所の始まりと考えられている。もっとも改新の詔の内容には疑問も持たれており、確実に存在したと言えるのは天智天皇の時代のこととされ、壬申の乱の時に鈴鹿関を守る関司が大海人皇子(後の天武天皇)方についていたことが知られている(『日本書紀』天武天皇元年6月壬申条)[3]。この戦いで勝利した天武天皇は、乱後に大和国と河内国の国境にある龍田山と大坂山に関を設けた(『日本書紀』天武天皇8年11月是月条)[4]。 東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、北陸道の愛発関が畿内を防御するために特に重視され、これを三関という。鈴鹿峠から東は、東国または関東と呼ばれた。平安時代中期以後は、愛発関に代わり、逢坂関が三関になった。 三関のほか、東海道の駿河・相模両国境には足柄関、同じく東海道の常陸・陸奥両国境には勿来関、東山道の信濃・上野両国境には碓氷関、同じく東山道の下野・陸奥両国境には白河関、北陸道の越後・出羽両国境には念珠関がそれぞれ設置された。
関所の設置
中国の関所.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}鎮南関剣門関函谷関洛陽潼関虎牢関雁門関嘉峪関陽関山海関居庸関玉門関 歴史的な中国の関所
春秋戦国時代
漢代
日本の関所
古代
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