せき ひろみ
関 弘美
生年月日 (1959-02-22) 1959年2月22日(65歳)
出生地 日本・福井県
職業プロデューサー
ジャンルテレビアニメ
アニメーション映画
活動期間1987年 -
主な作品
テレビアニメ
.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
『ひみつのアッコちゃん』(第2作、第3作)
『ママレード・ボーイ』
『ご近所物語』
『花より男子』
『夢のクレヨン王国』
『おジャ魔女どれみ』シリーズ
『デジモンアドベンチャー』シリーズ
受賞
毎日映画コンクール
アニメーション作品賞
2020年『魔女見習いを探して』
テンプレートを表示
関 弘美(せき ひろみ、1959年2月22日 - )は、日本の女性アニメプロデューサー。福井県出身[1]。
東映アニメーションに所属し、テレビ企画部長(2008年)、企画製作本部・企画開発スーパーバイザー(2012年)等を経て、営業企画本部所属プロデューサー(2020年現在)[2][3]。
主なプロデュース作品に『ママレード・ボーイ』、『おジャ魔女どれみ』シリーズ、『デジモンアドベンチャー』シリーズなどがある[1][3]。 東映アニメーションで、独立して一人でプロデュースを担当した初の女性プロデューサー[3]。 『おジャ魔女どれみ』を創出したシリーズプロデューサーであり、女性(女児)向けアニメーション作品のプロデュースを数多く手懸ける[1]。 テレビ朝日系列の日曜朝8時30分枠のアニメを数多く手掛け[注 1]、ニチアサの母と呼ばれている[1]。 早稲田大学在学中、東映不思議コメディーシリーズの『ロボット8ちゃん』『バッテンロボ丸』の脚本を執筆し、その後、雑誌ライター等を経験。 1985年に東映動画(現:東映アニメーション)入社[2]。同期に『おジャ魔女どれみ』のシリーズディレクターだった佐藤順一がいる[4]。 1987年、『レディレディ!!』のアシスタントプロデューサーで初めてアニメ制作に携わる。1993年の『GS美神』からはプロデューサーを務めるようになる。1994年の『ママレード・ボーイ』で、初めて企画を独力で立ち上げ、単独でプロデュースする[3]。 1999年2月より、入社当時からの夢であり、東映アニメとしても15年ぶりとなるオリジナル企画作品『おジャ魔女どれみシリーズ』のプロデューサーを務める[2][4]。前作『夢のクレヨン王国』を高く評価した朝日放送のプロデューサーの「同じプロデューサー、監督、脚本で」という後押しのおかげであり、「こんなチャンスは二度と来ないかもしれない」と考えてやりたかったことを実行することにした[2]。また、東映ではたとえ評価の高い作品でもビジネスとして成功しないとしばらく作れない時期が訪れるということがわかっていたので、何が何でも当てることを決意したという[4]。 同1999年3月より、『デジモンアドベンチャー』のプロデューサーも担当[5]。 2015年6月1日より、企画営業本部の企画開発スーパーバイザーに就任している。それまでは、企画営業本部のテレビ企画部長と映画室長を務めていた。
人物
経歴
エピソード
アニメーションのプロデューサーとしては珍しく、二つのテレビアニメ作品を掛け持ちで担当することが多い。かつてシナリオライターとして活動していた経験から、シナリオ監修としても携わるほど企画面においては一切の妥協を見せない。
Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef