関弘子
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せき ひろこ
関 弘子
1952年
本名観世 弘子[1][2](旧姓:関[3]
生年月日 (1929-07-30) 1929年7月30日
没年月日 (2008-05-11) 2008年5月11日(78歳没)
出生地 日本東京都[2]
民族日本人
身長158 cm[1]
ジャンル俳優声優
活動期間1950年代 - 2008年
受賞
1964年新劇演技者特別賞『わざおぎのふるさと』[2]
1981年紀伊國屋演劇賞を受賞した[1][2]
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関 弘子(せき ひろこ、1929年昭和4年)7月30日[3] - 2008年平成20年)5月11日)は、日本女優声優東京都出身[3]

母親は声楽家関種子、夫は観世流能楽師観世寿夫[4]
略歴[ソースを編集]

自由学園卒業[1]。1947年、劇団俳優座に研究生(1期生)として入座[5]。1952年、俳優座養成所卒業[1][5]。1954年に俳優座を退団し、劇団青年座の立ち上げに参加[1][2][3][5]。1956年に青年座を退団[5]フリーランスとなり[3]、プレーヤーズセンター[3]、三木事務所[5]プロダクション・エムスリー[6]、おぎいくこ事務所に所属していた[1]

1962年から1969年まで、自主公演『わざおぎのふるさと』を連続上演し、1964年の新劇演技者特別賞を受賞した[2]

1969年(昭和44年)に観世寿夫と結婚。1970年に冥の会を立ち上げた[2][4]

能を始めとして様々な舞台ドラマなど数々の作品に出演。朗読(劇)・語りの第一人者として活躍し、朗読指導にも力を注いだ。西武池袋コミュニティカレッジや朝日カルチャーセンターなどで講師も行い、声と言葉の教室千声会を主催[2]

源氏物語全巻を平安時代当時の発音(日本語#音韻史を参照)で朗読したCDを自主制作。1981年には近松門左衛門の原文での語りで第16回紀伊國屋演劇賞を受賞した[1][2]

2008年5月11日、肺炎のため死去[7]。78歳没。
人物[ソースを編集]

声種ソプラノ

特技は朗読、能、日本舞踊[1]
主な出演[ソースを編集]
テレビドラマ[ソースを編集]

本日休診(1953年版)

孤独の賭け(1963年版 洋裁店「ボヌール」のマダム)

再婚します。

ジキルとハイド

白い巨塔(婦長)

第7の男

緑に匂う花

特別機動捜査隊 第199話「再会」

快獣ブースカ 第12話「ブースカと七人の魔術師」(1967年) - 金持ち婦人

イエスの方舟 イエスと呼ばれた男と19人の女たち


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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