関屋
大字
関屋浜
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度54分36.97秒 東経139度1分31.85秒 / 北緯37.9102694度 東経139.0255139度 / 37.9102694; 139.0255139
国 日本
都道府県 新潟県
市町村 新潟市
区■ 中央区(大字の一部)
■ 西区(大字の一部)
人口(2018年(平成30年)1月31日現在)[1]
? 合計225人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号951-8134[2]
市外局番025 (新潟MA)[3]
ナンバープレート新潟
関屋(せきや)は、新潟県新潟市中央区ならびに西区に存在する地域名の一つで、住所としても存在しており、関屋を冠した地名が15存在する。 1904年(明治37年)から現在までの大字名で[4]、新潟島の西部に位置する。西蒲原郡の旧関屋村古新田が前身で、新潟区が市制施行に伴い合併して以来、新潟市の一地名として現在も名前が残っている。 1927年(昭和2年)から東部の宅地化が進められた[5]。1948年(昭和23年)から1976年(昭和51年)にかけて一部が町名施行され[5]、現在では海岸部に地名が残るのみとなっている。2007年に新潟市が政令指定都市に移行し旧新潟市関屋については行政区設置の伴って中央区と一部を西区にそれぞれ設定された。 関屋村古新田は江戸期から1889年(明治22年)までの新田名で関屋村とも称した[6]。地名の由来は、上杉謙信の家臣である関屋某という人物がこの地に住みついたことによる[7]。
概要
歴史
近世
古代
縄文海進の影響関屋地区は、7000年前から3000年前まで海でした。
近代
1869年(明治2年)、亀田郷の農民が悪水抜きのための信濃川分水の掘割を強行。新潟町の反対にあい明治政府の説得で収束した。
1889年 (明治22年) 4月1日に市制の施行する新潟区と合併し、新潟市の大字となる[6]。1896年(明治29年)、大川前に新潟硫酸株式会社の工場が建ったことで、明治40年代の1907年から1917年には十数社の製油所が建つ工業地帯となった[6]。
現代
1948年(昭和23年)から1965年(昭和40年)までの間、日本中央競馬会(JRA) の新潟競馬場が存在した(1965年に北蒲原郡豊栄町(当時。その後市制施行を経て現・新潟市北区)笹山に移設された)。現在の新潟競馬場で開催される中央競馬の重賞(GIII)競走の関屋記念は、旧新潟競馬場の場所を記念して創設されたものである。
1964年(昭和39年)、関屋分水の工事が着手。新潟地震の影響で中断していたが、1965年(昭和40年)に工事が再開。1972年(昭和47年)に通水した。
2007年(平成19年)には新潟市が政令指定都市に移行された際、関屋地区は主に中央区に属したものの、一部の地域(関屋分水以西の地域)は西区に属したため、関屋は行政区設置により分割された。
分立した町字
有明大橋町 (ありあけおおはしちょう)
1973年(昭和48年)から現在までの町名[8]。町名は関屋分水に架かる国道116号の有明大橋にちなむ[8]。
有明台 (ありあけだい)
1956年(昭和31年)から現在までの町名[8]。
汐見台 (しおみだい)
1968年(昭和43年)から現在までの町名[9]。1964年(昭和39年)に発生した新潟地震の被災者のための応急仮設住宅が母体で、町名は砂丘上で日本海を眺望する場所であることにちなむ[9]。
信濃町 (しなのまち)
1966年(昭和41年)から現在までの町名[10]。大部分が競馬場跡地で、関屋分水法線地内居住者の移転代替地とされた[10]。町名は信濃川に近いことにちなむ[10]。
関新 (せきしん)
1973年(昭和48年)から現在までの町名、1丁目から3丁目がある[11]。町名は、地内の大部分を占める関屋新町通を縮めたもの[11]。
関南町 (せきなんちょう)
1961年(昭和36年)から現在までの町名[12]。1960年前半(昭和30年代後半)から宅地化。町名は関屋の最も南に位置することから[12]。