関口和之
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関口 和之
出生名関口 和之
別名CAPTAIN MOOK
[1]
生誕 (1955-12-21) 1955年12月21日(68歳)[2]
出身地 日本新潟県[2]
学歴青山学院大学文学部卒業
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ハワイアン・ミュージック

ポップ・ロック

J-POP

職業

シンガーソングライター

小説家

漫画家

エッセイスト

俳優

ウクレリアン

担当楽器

ベース

ウクレレ

ボーカル

コーラス

ギター

活動期間

1977年 - ソロ活動

1986年

1997年

2000年 - 2002年

2008年

2012年

レーベルタイシタレーベル(1986年 - )
事務所アミューズ[2](1978年 - )
共同作業者サザンオールスターズ
公式サイト

湯のみ

SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE

関口 和之(せきぐち かずゆき、1955年〈昭和30年〉12月21日[2][3] - )は、日本の男性ミュージシャンシンガーソングライターウクレリアン[4]。ロックバンドであるサザンオールスターズのメンバーで、ベースを担当[5]新潟県出身[2]青山学院大学文学部卒業。所属事務所はアミューズ[2]。所属レコード会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、所属レーベルタイシタレーベル。有限会社のほほん代表取締役[6]。愛称は、ムクちゃん[7]、カズ坊[8]
概要

1978年にサザンオールスターズのベーシストとしてメジャーデビューを果たし、1986年にアルバム『砂金』でソロ活動を開始した[9]。1991年にハーブ・オオタと出逢ったことをきっかけにウクレレの活動を始め、ハワイでウクレレのイベントを開催している[10]。また桃太郎電鉄シリーズなどのゲーム音楽の作曲を手掛けている[4]。ミュージシャンとしての活動だけでなく、漫画やエッセイの出版、テレビドラマやラジオの出演など幅広く活動している[4]
音楽性「サザンオールスターズ#音楽性」も参照
ベース

音楽およびベースに興味を持った原点としてビートルズポール・マッカートニーの影響を語っている。また、カール・レイドルチャック・レイニーなども聴いていた[11]。青学時代にフェンダーのベースを購入した[注釈 1]ことについて「物を手に入れてあれほどうれしかったことはない」と述べている[12]

桑田佳祐は関口のことを「ユニークな発想をする」「アーティスティック」「サザンの要」と評し[13]、また関口のベースの演奏を「センスのいい関口和之のベース」[14]「知的でカッコいい」「彼はやはり天才なのである」と認めている[15]。さらに「あいつのベース、攻めてるんだよな」とも評し[16]、「セイシェル ?海の聖者?」(2005年)のBメロのベースラインは「彼じゃないと絶対に発想できないし、弾けないラインだ」と語っている[17]。関口は攻めているといった評価について「自分としては、そんなに攻めたつもりはないんですけどね。そんなに自由に弾いてるつもりもないし、自分なりの決め事があって、その目標に到達出来るように弾いてただけなんですけどね」としている[16]。2005年のサザンの全国ツアー『みんなが好きです!』で「JUMP」(2005年)を演奏した際には、CD音源と異なる激しいベースソロを間奏で披露している[18]

サザンの無期限活動休止が終わりバンドが活動を再開した2013年からほぼ5年ぶりにベースに触れたところ「ベースでやり残していること、結構あるな」と気づき、「それはつまりサザンでやり残したこと」であった旨も語っている[19]
ウクレレ

1991年にハーブ・オオタに出逢ったことをきっかけとしてウクレレ愛好家になり、それ以降のアルバムのコンセプトはウクレレをフィーチャーした作品として発売されている[10][20]。作品には多数のウクレレの演奏者が参加している[20]高木ブーとはウクレレ仲間として交流があり、ソロ活動ではライブやイベントで共演している[21]。2009年から2012年のサザンの無期限活動休止期間中はウクレレの活動に集中していた[19]

関口によると「音楽をこのまま続けていっていいのか」「大好きだった音楽なのに、一時嫌いになりかけた」という程思い悩んだ時期あったが、ウクレレとの出会いによって乗り越え、「昔以上に音楽が好き」と思えるようになったと語っている[22]

サザンの楽曲「DOLL」(2004年)でウクレレを弾いているのは関口である[23]。また、桑田は関口からウクレレを借りたことがあり、桑田ソロの楽曲「悲しみよこんにちは」(2011年)のレコーディングでそれを演奏している[24]

関口はウクレレは心をゆるめる作用があると感じている[22]

ウクレレファン用のスマートフォンアプリ「ウクレリアン」をプロデュースした[25]
その他

サザンとしての活動でもボーカルを担当している楽曲は存在しているが、ソロでの作品では関口自身で作詞・作曲・ボーカル・プロデュース、さらにはジャケットも手掛けている[26]

さくまあきらから『桃太郎伝説』の音楽制作を依頼された際に、個人的な友人関係であることを理由としてテレビゲームをやったことがないにもかかわらず引き受けた[27][注釈 2]。このころの関口はインストゥルメンタルを作曲した経験がなかったため少し躊躇していたという。当時のファミコンは使える音が制限されていたため、作曲する際にはキャラクターや場面をメロディーで表現しようと心がけたといい、自身の音楽性にも影響を与えたことを語っている。長きに渡り自身の楽曲をゲーム音楽に起用し続けているさくまに対しては「感謝してもしきれない」とコメントしている[28]
人物

関口は桑田にとってサザンのメンバーの中でアマチュア時代の最も古くから面識のある人物である[8]。桑田のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM)を聴いていることを明かしており、選曲に共感することもあるという[11]。サザンが長く続いた秘訣として「『休み休みやることかな』としか答えようがない」とインタビューで述べている[19]

既婚者であり、妻は『PoePoe』[注釈 3]や『ウクレレ・ピクニック』の経営にも関与している[30][31][32][33]。帽子と口ヒゲがトレードマークになっている。「勝手にシンドバッド」のジャケット写真ではつけヒゲを着用していた[34][35]。あだ名は以前飼っていた犬の「ムク」が関口に良く似ていたこと、および“温泉あんまももひきバンド”時代の髪型が胸まである長髪でむく犬のようだったことからムクちゃんとつけられた[7]。このあだ名は青学時代にはすでについていた[36]

青学時代に教職試験に合格しており、卒業後の進路として教師の職に就くことも選択肢としてあったが、周囲の反対を押し切ってサザンのメンバーになった旨を関口自身や桑田が証言している。関口は「その後の僕の人生は幸せです」とコメントしている[37][38]。また、青学時代に留年を経験している。これは本人が意図的に1単位減らしたことによるものと桑田が語っている[38]

サッカーを愛好していることを度々語っている。サザンのレコーディングで使用するビクタースタジオから歩いてすぐのところに国立競技場があるため、空き時間に観戦しに行くという[39]

漫画やイラストを得意としており、原由子のソロデビューアルバム『はらゆうこが語るひととき』、爆風スランプのデビューアルバム「よい」のジャケットは関口が描いたものである。関口は「小学校のころから、僕はマンガ大好き少年であった。マンガ家になりたいと本気で思っていた」と語っており、暇さえあれば絵を描いている[40][注釈 4]。1984年には週刊少年サンデー増刊号に4コママンガの連載を持った。さくまあきらと知り合ったことで、鳥山明いしかわじゅん江口寿史高橋留美子高野文子らとの交流ができた[41][注釈 5]


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