関口 伊織基本情報
国籍 日本
出身地埼玉県熊谷市
生年月日 (1971-10-26) 1971年10月26日(49歳)
身長
体重178 cm
74 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1995年 ドラフト2位(逆指名)
初出場1996年4月10日
最終出場2004年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
埼玉県立大宮工業高等学校
東洋大学
日本通運
横浜ベイスターズ (1996 - 2001)
大阪近鉄バファローズ (2001 - 2004)
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関口 伊織(せきぐち いおり、1971年10月26日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(投手)。2013年より東北楽天ゴールデンイーグルスのスコアラー。目次 熊谷市で鉄工所の経営者の長男として生まれる[1]。富士見中学ではエースとして県大会で3位になり、誘いを受けて大宮工業に進学[1]。3年夏の埼玉大会ではベスト16で敗れたが、速球を評価され巨人や西武から獲得の打診もあったという[1]。しかし、高校野球部の監督の勧めもあって東洋大学へ進学。東洋大野球部では1学年下で1年春のリーグ戦でMVPを獲得した銭場一浩の存在などもあってすぐに起用は増えなかったが、3年秋にはリーグ戦で完封勝利を挙げている[2]。4年春には先発の柱となり[3]、大学では通算38試合に登板、9勝8敗、防御率2.73の成績を残した。大学卒業後、日本通運に入社。同期には大塚晶文がいた。 入社1年目の1994年は日本選手権で決勝戦の先発を任され、優勝に貢献[4]。翌1995年は黒川紀章とともに投手陣の中心となり[5]、3月の東京スポニチ大会では準優勝に貢献して敢闘賞を受賞している[6]。同年の都市対抗では川鉄千葉の補強選手となり、エースの須合哲哉とともにベスト4進出を支えた[7]。また、捕手の藤井省二から配球について多くを学んだという[8]。1995年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから2位指名(逆指名)を受けて[1]入団。当時のNPBの規定上限である契約金1億円と出来高払い金5,000万円、年俸1,200万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる[9]。 1年目の1996年4月10日には早くも一軍で登板し、シーズン後半は先発として起用され5勝を挙げた。また、11月の日米野球では予定されていた斎藤隆に代わり第7戦のメンバーに選ばれた[10]。オフの更改では年俸は2,300万円(推定)になっている[9]。1997年は先発でスタートしたが7月以降はリリーフに回り、前年を上回る60試合に登板。1998年はリリーフ・先発として日本一に貢献したが前半戦は勝利がなく、8月6日の対阪神戦で延長11回に7対7の場面で登板するとファンから不満の声が上がり、4イニングを無失点に抑えて勝利投手となったもののプロの厳しさを感じたという[9]。
1 経歴
2 選手としての特徴・人物
3 詳細情報
3.1 年度別投手成績
3.2 背番号
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
経歴