せきぜんむら
関前村
岡村島・乗越海水浴場
関前村旗関前村章
関前村旗関前村章
廃止日2005年1月16日
廃止理由新設合併
今治市、関前村、菊間町、大西町、波方町、玉川町、朝倉村、吉海町、宮窪町、伯方町、上浦町、大三島町 → 今治市
現在の自治体今治市
廃止時点のデータ
国 日本
地方四国地方
都道府県愛媛県
郡越智郡
市町村コード38355-4
面積5.52 km2
総人口865人
(2000年10月1日)
隣接自治体越智郡波方町・大三島町
広島県豊田郡豊町・木江町(すべて海上により隣接)
村の木ヤマモモ
村の花みかんの花
他のシンボル鳥: メジロ
魚: サワラ
昆虫: クロツバメシジミチョウ
関前村(せきぜんむら)は、愛媛県の東予地方にあった村である。
2005年1月に今治市・越智郡11か町村の合併により、地方自治体としては消滅した。またこの結果、愛媛県から村が消滅している。
有人島は岡村島、大下島、小大下島の3島。下記以外の項目は、それぞれの島の記事参照。 芸予諸島の岡村島、大下島、小大下島の3島とその属島の無人島群からなる離島の村で、西部では広島県の大崎上島からのミカンの出作が行われてきた。石灰岩の露頭が見られて、明治時代に一時は島外から事業者が入り込み盛んに石灰の採掘が行われて島の形が変容する程であったが、資源の涸渇と共に島を去っていった。現在では巨大な採掘跡は水源地となっており、島民を潤している。 江戸期には、伊予松山藩領(1635年?)で瀬戸内海航路の帆船の中継地となる。
地理
村名の由来
中世において瀬戸内海を近畿に上る航路上に位置しており、潮待ちの関の手前に位置したことにより「関前」と呼ばれた。
歴史
沿革
江戸時代に、宮浦村と里浦村とが合併して岡村になる。
1838年(天保9年) - 小大下島を二分して、岡村と大下村とがそれぞれの村分とする。
1889年12月15日 - 岡村・大下村の合併により、關前村となる。
1903年 - 岡村・大下漁業組合が設立される。
1946年12月21日 - 早朝04:19過ぎに起こった南海大地震で、大きな被害を受ける。
1950年 - 観音崎
1954年 - 台風13号で、大きな被害を受ける。
1959年 - 離島振興地域に指定される。
1962年 - 岡村桟橋が完成する。
1975年 - 小大下鉱山が閉山する。
1995年 - 広島県側とを結ぶ岡村大橋(農道)が開通
2005年1月16日 - 今治市・越智郡11か町村の合併により、自治体としては歴史を閉じる。