関俊彦
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この項目では、声優の関俊彦について説明しています。同名の法学者については「関俊彦 (法学者)」をご覧ください。

せき としひこ
関 俊彦
プロフィール
本名関 俊彦[1]
愛称関ちゃん[2]
性別男性
出生地 日本宮城県仙台市[2]
出身地 日本栃木県真岡市[3]
生年月日 (1962-06-11) 1962年6月11日(61歳)
血液型A型[4]
職業声優舞台俳優歌手
事務所81プロデュース[5]
配偶者あり
公式サイト関 俊彦|81プロデュース
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重170[注 1] cm / 60 kg

声優活動
活動期間1983年[7] -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作兵士
(『太陽の子エステバン』)[7][8]
俳優活動
活動期間1983年[7] -
ジャンル舞台
デビュー作『花のOH-ENマジック』[7][9][10][11]
音楽活動
活動期間1990年 -
ジャンルJ-POP
職種歌手
レーベルFUTURE LAND
メルダック
共同作業者バナナフリッターズ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

関 俊彦(せき としひこ、1962年6月11日[4][7][12] - )は、日本声優舞台俳優歌手宮城県仙台市生まれ、栃木県真岡市出身[3]81プロデュース所属[5]
略歴
生い立ち

姉が劇団四季のファンで、実家の栃木から新幹線で2時間ほどかけて東京へよく舞台公演を見に行っていたことや、部屋にポスターなどが飾られていたことなどから役者に興味を持つ[2]。また、関自身も野沢那智白石冬美ラジオパーソナリティを務めたTBSラジオ番組『ナッチャコパック』の投稿リスナーであり、送ったハガキを読んで貰えたこともあったという[2]。高校生のころに、ラジオ番組内で野沢が主宰する劇団薔薇座の芝居の宣伝を聞き、役者を募集している劇団があることを知る[2]

中学・高校の6年間は剣道に打ち込んだが、大学に進学したら剣道とは違うことをやろうと決意[11]。『ぴあ』を読んでいたところ、その中に前進座女優である川路夏子率いるグループ・カオスの研究生募集の記事が載っているのを見て「マンツーマンで指導する」というキャッチフレーズに惹かれて、大学入学と同時に応募する[2]。ただ、そのころはまだプロになろうという気はなく、興味半分でどんなものかというのを見に行く感じだったという[2]。大学にも演劇研究会はあったが、どうせものを習うんだったら本格的にやりたかったという理由からグループ・カオスを選び入所する[2]。芝居を始めた時は、それがお金になるとは考えていなかったという[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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