ノート:垂井線に、このページに関する確認があります。(2021年5月)
確認の要約:垂井線と新垂井線の正式上の扱いについて
関ケ原駅
駅舎(2022年11月)
せきがはら
Sekigahara
所在地岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度21分49.255秒 東経136度28分14.692秒 / 北緯35.36368194度 東経136.47074778度 / 35.36368194; 136.47074778
関ケ原駅(せきがはらえき)は、岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である[1]。駅番号はCA79。
南荒尾信号場で分岐していた上り本線・下り本線(通称:垂井線)・新垂井線(東海道本線別線)と呼ばれる単線が当駅で合流する。岐阜県最西端の駅である。運行形態の詳細は「東海道線 (名古屋地区)」を参照。なお、ダイヤは後述する。
歴史
1883年(明治16年)5月1日:官設鉄道の長浜駅 - 関ケ原駅間開業時に設置。一般駅当時は、春照駅経由で長浜駅と連絡していた。
1889年(明治22年)7月1日:分岐点(後の深谷駅) - 長岡駅(近江長岡駅) - 米原駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間の延長線が開業。分岐点 - 長浜駅間休止。
1891年(明治24年)1月12日:長岡駅・長浜駅への分岐点に深谷駅(貨物駅)が開業。深谷駅 - 長浜駅間が貨物線として運行再開。
1895年(明治28年)4月1日:路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
1899年(明治32年)
10月15日:関ケ原駅 - (柏原駅) - 長岡駅間の勾配緩和新線(現在線)が開業。
12月28日:関ケ原駅 - 深谷駅 - 長岡駅および深谷駅 - 長浜駅間が廃線。
1944年(昭和19年)10月11日:新垂井駅経由の勾配緩和別線(下り専用)が開業。南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り線が撤去される。
1946年(昭和21年)11月1日:下り本線復活。
1973年(昭和48年)10月1日:貨物の取り扱いを廃止。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止。
1986年(昭和61年)11月1日:新垂井線にあった新垂井駅が廃止。全普通列車が垂井駅経由での運転となる。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が承継。
1991年(平成3年)10月6日:第1回さわやかウォーキングが当駅で開催される。(コース名:関ケ原古戦場めぐり)
日付不明:名古屋発当駅止まりの最終列車の運転と夜間留置を開始。[4]
2006年(平成18年)11月25日:名古屋駅方面においてICカード「TOICA」の利用が可能となる。
2016年(平成28年)3月26日:ダイヤ改正に伴い、「ホームライナー関ヶ原」が運転区間を大垣までに短縮し、当駅までのホームライナーが消滅[5]。
2019年(平成31年)3月2日:当駅以西(醒ケ井駅方面)においてICカード「TOICA」の利用が可能となる[6]。
2024年(令和6年)
1月31日:JR全線きっぷうりばの営業を終了[7]。
2月1日:サポートつき指定席券売機が稼働開始[2][3]し、お客様サポートサービス導入に伴い無人化[注釈 1][2][3]。