間部 耕苹(まなべ こうへい、1934年1月20日 - 2013年5月7日)は、日本の実業家、テレビディレクター、日本テレビ放送網最高顧問。富山市出身[1]。
目次
1 職歴
2 担当作品
2.1 テレビ作品
3 脚注
職歴
1956年3月 - 武蔵大学経済学部卒業。
1956年4月1日 - 日本テレビに入社。テレビドラマ演出など、制作部門を経て総合計画室次長や制作技術部長を歴任。
1975年4月 - 日本テレビ取締役制作技術部部長。
1982年9月 - 日本テレビ制作技術局局長。
1985年6月 - 日本テレビ取締役制作技術局局長。
1987年4月 - 日本テレビ取締役人事局局長。
1992年6月 - 日本テレビ常務取締役人事局長。
1994年5月 - 日本テレビ専務取締役。
1999年7月 - 日本民間放送連盟理事。
2001年6月 - 日本テレビ代表取締役副会長。
2003年6月 - 読売新聞グループ本社監査役。
2003年11月1日 - 日本テレビ代表取締役社長。
2004年4月 - 日本民間放送連盟副会長。
2005年6月 - 日本テレビ代表取締役相談役。
2007年4月 - 日テレ・グループ・ホールディングス代表取締役会長、スカパーJSAT(現・スカパーJSATホールディングス)取締役。
2007年6月13日 - デジタル放送推進協会理事長。
2013年5月7日 - 胃がんのために死去[2]。79歳没。叙正四位。
担当作品
テレビ作品
1959年 - 1963年 :「ママちょっと来て」(演出)[3]
脚注^ “ ⇒シリーズ・放送人インタビュー2011” (日本語). www.waseda.jp. 2018年10月9日閲覧。
^ ⇒元日本テレビ社長の間部耕平氏が死去 産経新聞 2013年5月7日閲覧
^ ⇒ママちょっと来て テレビドラマデータベース
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