間文化哲学
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間文化哲学(かんぶんかてつがく、Intercultural philosophy)とは、異文化からの影響を統合することを重視する哲学へのアプローチである。西洋哲学アジア哲学アフリカ哲学などの異なる哲学的伝統の遭遇を表すこともある。

Ronnie Littlejohnは「インターネット哲学百科事典」のなかで、比較哲学を「哲学者が文化的、言語的、哲学的な流れを超えて、さまざまな原典を意図的に対話させることによって、様々な問題に取り組むこと」とし、世界哲学を「哲学者が、世界にある思想の伝統の豊かさに基づいて、哲学体系を構築するもの」と特徴づけている。

ポール・マッソン-ウルセルやen:Brajendra Nath Seal、サルヴパッリー・ラーダークリシュナンなど、間文化哲学には多くの先駆者がいるものの[1]、コンセプトとしての間文化哲学は1980年代に登場した。このコンセプトは、間文化哲学の視点を追求するドイツ語圏のヨーロッパの思想家と結びつけられることが多い[2]
間文化哲学の考え方

哲学の長い歴史の中では、常に普遍性への希求が存在してきた。しかし、過去の多くの偉大な思想家たちは、西洋の伝統にのみ哲学的価値を見いだし、他の地域が何世紀にもわたって独自に成し遂げてきたことを見過ごしてきた。ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルのようなヨーロッパ中心主義の哲学者は、ギリシャが唯一の哲学の発祥地であり、中国やインドのような伝統は知恵についての教えに過ぎないとする[3]。一方で、哲学の発祥地はひとつではなく、アジアの伝統も含まれると語る者もいる[4]

ドイツの精神科医であり哲学者でもあったカール・ヤスパースは、中国、インド、西洋で哲学的思考が発展した紀元前800年から紀元前200年までの期間を指す枢軸時代の理論を発展させた[3][5]。ヤスパースの理論は、間文化的に哲学をする人々に広く受け入れられている。

ヨーロッパ中心主義とは対照的に、異文化間の交流や出会いが人間存在における事実であるとすれば[6]、特に今日のグローバルな状況においては、異なる伝統・文化間のコミュニケーションや協働が必要であると考える哲学者がいる[2][3][7][8]。目指すべきは、他の文化を包含するように思考を拡張すること、一つの伝統だけでなく、アジア、ラテンアメリカ[8]、イスラム、アフリカ[7]など、できるだけ多くの伝統を考慮することである。もはや、自分ひとりで問いを立てることは重要ではない。なぜなら、それは非常に地域的なアプローチになるからだ。間文化哲学は、学問的なテーマではなく、哲学をするすべての人が従うべき態度である[3][5]。どのような哲学的志向であれ、他文化の思想は考慮されるべきである[8]

ライモン・パニカーにとって、宗教と哲学を結びつけることもまた重要である。なぜなら、宗教と哲学はどちらも人間的現実の重要な要素であり、また多くの文化にとって重要だからである[9]。間文化哲学のアプローチを発展させる際には、自身の論証方法や説明のしかたのみを用いるという考えを捨て、舞踊、音楽、建築、儀礼、芸術、文学、神話、ことわざ、民話など、他の形式も含めなければならない[2][10]。それぞれの独自の伝統が守られ、ひとつの大きなシンクレティズムに作り上げられてしまうことがない、多様な交流を可能にする出会いの方法を見つけなければならない。Fornet-Betancort(後述)によれば、グローバル化によって文化が吸収され、単一文化に規定された世界文化になるのを食い止める唯一の方法は、異文化間対話のプロジェクトだという[11]。また、中国や日本が自国の文化的アイデンティティを失うことなく仏教の統合に成功していることから、他国が学ぶべき間文化的実践の例とする見方もある[12]。WimmerやMallのような哲学者(後述)は、すべてのグループが同じレベル('Ebene der Gleichheit')にあり、他に何の権力もなく、よりよい議論をするための対話の形態を想定している[3][5][7]
主な哲学者

間文化哲学思想の祖は誰かと言うことはできない。というのも、哲学史上、間文化的アプローチをその理論に取り入れた哲学者は常に存在したからである。ただし、決定的なもの、あるいは大きなインパクトがあったものはなかったのであるが[2]。間文化哲学は、数人の哲学者にとどまらず、多くの哲学者の関心事となってきたこともあり、挙げるべき名前はかなりの数になる[8]。間文化哲学のコンセプトは、哲学者それぞれの個人的背景によって異なるが、全員が同意しているのは、このアプローチがもたらす実践上の妥当性である。哲学者たちは、間文化哲学が今日のグローバル化の状況にどのように応答すべきかについて、それぞれ独自の提案をしている[2]
Raul Fornet-Betancourt

Fornet-Betancourt(1946年生まれ)は、ドイツのアーヘンで宣教学の教授を務めている。彼はキューバで生まれ育ち、そこですでに複数の文化、すなわちヨーロッパ文化、ヒスパニック文化、アフリカ文化と接触している。彼の主な関心はラテンアメリカ哲学にあるが、彼はラテンアメリカ哲学を自分だけで研究するのではなく、ラテンアメリカ出身の哲学者の助けを借りながら研究していると公言している[8]。Fornet-Betancourtは、いまだに世界を支配しているヨーロッパ中心主義を克服するためには、間文化的アプローチが重要だと考えている。哲学の歴史は、拡大発展に基づいて再構築されるべきではなく、人類のあらゆる文化の多様性によって再構築されるべきである。しかし、過去だけを考慮に入れるのではなく、現在の再設計も同様に重要である。間文化哲学は、多様性に耳を傾けさせるための手段なのである[8]
Heinz Kimmerle

Kimmerle(1930年生まれ)は、エラスムス・ロッテルダム大学の名誉教授である。彼は、哲学の間文化的コンセプトを構想するために、植民地的思考から脱し、完全な平等に基づくアフリカ哲学との対話に向かう道を展開しようとしている[8]。Kimmerleにとって、間文化性はあらゆるものに影響を及ぼすものであるため、哲学はその実践的妥当性を失わないよう、あらゆる下位領域において間文化性に適応しなければならない。彼の考えでは、芸術の哲学は間文化的思考の先駆者として重要な役割を果たしている[2]
Ram Adhar Mall

Mall(1937年生まれ)は哲学の教授であり、ミュンヘン大学で間文化哲学と解釈学を教えている。インド哲学と社会学を体系的に研究しており[8]、インド人の血筋であるとともに西洋の教育を受けていることから、自らをインサイダーであると同時にアウトサイダーであると考えている[5]。Mallにとって間文化性とは、単独では存在しえない文化が重なり合うことから生まれる。間文化哲学とは、決してヨーロッパ以外のものに対するロマンティックな観念なのではなく、哲学的思考に先立つ態度なのである。そうして初めて、比較哲学が可能になる。Mallは、彼が「類似 (analogous)」[5][8]と呼ぶ解釈方法に取り組んできた。これは、根本的な差異と完全な同一性という解釈における両極端のあいだを行き来するものである[5]。差異であるにもかかわらず重なり合うものを理解することで、自文化と同一ではない他文化を理解することができる。Mallは、理論においても実践においても、絶対的な正しさを主張することの放棄を訴えている[8]
Franz Martin Wimmer

Wimmer(1942年生まれ)はウィーン大学の准教授である。彼は、哲学の概念をヨーロッパ中心主義から解放することが重要だと考えた。Wimmerは、哲学の内容を、提起された問いに関して定義している。論理学存在論認識論、規範や価値観の正当化に関する伝統はすべて哲学的である。現段階ではそうでなかったとしても、哲学は常に間文化的であるべきである。哲学が普遍性を主張しながらも、他方では常に文化や特定の表現手段、特定の問いに埋め込まれているというのは、まさに「文化性の苦境」である[2]


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