間島淳司
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まじま じゅんじ
間島 淳司
プロフィール
本名間島 淳司
[1]
愛称マジー、マジ兄
性別男性
出身地 日本愛知県名古屋市守山区[2][3]
生年月日 (1978-05-13) 1978年5月13日(46歳)
血液型A型[4]
職業声優
事務所アイムエンタープライズ[5]
公式サイト間島 淳司|アイムエンタープライズ
活動
活動期間1999年 -
デビュー作稲穂信(『Memories Off』)[6][7]
ドキドキ?伝説 魔法陣グルグル』アニメでのデビュー[6][8]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

間島 淳司(まじま じゅんじ、1978年5月13日[4] - )は、日本男性声優アイムエンタープライズ所属[5]劇団東京都鈴木区朗読文化協会会長。
経歴
生い立ち

一番最初になりたいと思った職業は幼稚園の卒園文集にはウルトラマンになりたいと書いており、年長になった時も「同じことを書こう」と思っていたところ教師に「それはちょっと……」と言われ、サッカー選手に替えられた[6][9]

アニメは好きであり、小学生の頃に一番好きだったテレビアニメ『魔神英雄伝ワタル』で職業としての声優を知った[6][9]。アニメ好きだった姉が買っていた雑誌に声優の記事があって、「ああ、中に人がいるんだ」、「あの役もこの人がやってるんだ」とわかってきて、中学時代には國府田マリ子がパーソナリティを務めていた『ツインビーPARADISE』、小森まなみを務めていた『mamiのRADIかるコミュニケーション』などのラジオも聴くようになり、職業としての声優を知るようになった[6]

当時の憧れの声優はテレビアニメ『天空戦記シュラト』、『らんま1/2』で知った山寺宏一[6][9]
デビュー前

学生時代は内気であり、通知表には「消極的だ」と書かれ、学級委員をしていた[9]

その成績の良さを活かし、親には「あなたは公務員が向いてる」と言われ、なりたい職業がなく「公務員になるもんだ」と思ってた[9]。高校の進路相談で、教師が「何になりたい?」と聞きかれ、高校1年生の時の進路決定で主体性を持って行動した[9]。しかし声優になろうと何をしてきたわけでもなかったため、「訓練くらいはしておこう」と演劇部に入部[9]。当時の演劇部は、部員は6?7人いたが、やる気がなかったという[10]。練習にもあまり集まらなく、夏休みに部室に行っていたところ間島1人ということもあった[10]。しかし訓練になり、文化祭の舞台までは続けていた[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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