開聞上野
? 大字 ?
1974年ごろの上野付近の航空写真[1]
開聞上野
座標: 北緯31度12分47秒 東経130度33分39秒 / 北緯31.21306度 東経130.56083度 / 31.21306; 130.56083
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村指宿市
地域開聞地域
人口 2010年10月1日現在
- 計496人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号891-0601
開聞上野(かいもんうえの)は、鹿児島県指宿市の大字。旧薩摩国頴娃郡頴娃郷仙田村の一部、揖宿郡今和泉郷利永村の一部、揖宿郡今和泉村大字利永の一部、揖宿郡利永村の一部、揖宿郡開聞町大字上野。人口は496人、世帯数は187世帯(2010年10月1日現在)[2]。郵便番号は891-0601。 指宿市の南部、池田湖の南岸部に位置する。字域の南方から西方にかけては指宿市開聞仙田、東方には指宿市山川利永がそれぞれ隣接しており、北方は池田湖に面している。 字域の南部に集落が集中しており、開聞仙田との境界上を流れる新川流域には耕地がある[3]。また、南部の集落付近を鹿児島県道241号大山開聞線が通っている。 ウィキソースに大字上野を設置する件 上野は延享元年までは仙田村(現在の指宿市開聞仙田)の一部であり、現在の開聞上野にあたる区域は上野方限を形成していた[4]。 延享元年に島津忠卿が応永24年に川辺城の戦いで和泉家当主であった直久が戦死して以降、断絶していた和泉家を継ぎ、今和泉島津家と称し、その際に指宿郷及び頴娃郷の一部から今和泉家の私領として今和泉郷が編成された[5]。これに伴い仙田村のうち上野方限及び尾下方限の区域が割譲され、利永村が編成され、上野方限は今和泉郷利永村のうちとなった[4]。 1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの今和泉郷の全域より今和泉村が成立し、江戸時代からの利永村は今和泉村大字利永となった[4]。1948年(昭和23年)9月1日には今和泉村のうち大字利永の区域より利永村が設置された[6]。 1955年(昭和30年)に利永村のうち上野地区(人口:834人)の区域が開聞村に編入されることとなり(その他の区域は山川町へ編入)、同時に開聞村が町制施行し開聞町となり、上野地区の区域より開聞町の大字「上野」が設置された[7][8]。 2006年(平成18年)1月1日には開聞町が指宿市及び山川町と新設合併し、新制の指宿市となり、大字名はそれまでの大字名に自治体の名称を冠したものに改称することとなり、大字上野は指宿市の大字「開聞上野」となった[9][10]。 実施後実施年実施前
目次
1 地理
1.1 湖沼
1.2 山岳
2 歴史
2.1 上野の前史
2.2 大字上野の設置
2.3 字域の変遷
3 施設
4 小・中学校の学区
5 交通
5.1 道路
5.2 鉄道
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
地理
湖沼
池田湖
山岳
鍋島岳 - 字域の東部に位置する[3]。南薩火山群の一つで池田湖の南縁に形成された溶岩ドーム。
歴史
上野の前史
大字上野の設置
字域の変遷
開聞町大字上野1955年(昭和30年)利永村(大字なし)
山川町大字利永
施設
郵便局
上野簡易郵便局
寺社
上野神社
小・中学校の学区
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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